幸運

 

▽私は勝負事が好きで、白黒をはっきりさせたいタイプ。ギャンブルに深入りしそうな性格だけど、自分では変えられぬ「ツキの周期」に挑戦する気はなく、射倖心に駆られることもない。パチンコは短時間で500発ほど増えて目減りが始まる。暫くすると盛り返し、500ラインを往来するパターンを何度も繰り返す。やがて、ピークへの到達時間が遅くなり、そのうち息が切れる。私の幸運リミットはせいぜい速攻500発/景品カセットテープ1本が妥当なところ。昔、友人とチームを組み、個人差のあるバイオリズムを利用して、共同作業で打ち止めに成功したことがある。私は先鋒で、憧れだった「食事中」 の札を台の前に立て、休憩時間を十分に取りながらツキの周期を調整し、3人がかりで達成!日本に帰省した折、東京で20数年ぶりに興じた。妻がやたらと強くてアッという間に1台制覇。学生時代は無敗に近かったとか・・お、恐るべし。▽〆切が迫る時期は無駄な時間を最大限に省略したいので、些細な “絶妙のタイミング” に出会うと幸運を感じてしまう。「スプリンクラーの散水範囲を微妙に外れて、濡れなかった朝刊」「芝生の刈り込み終了と同時に到着したゴミ収集車」「必要な日用品を買いに出かけたら、信号が全て青」「牛乳をこぼしてしまい、困っていたところへ隣の猫が現れた」。小さな幸運に感じる絶大なる有り難さ。(SS)
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▽モノの本によれば、運には2つの種類が存在するという。1つはギャンブルのような純粋確率に基づく運で、もう1つは出会いや人生のような非純粋確率に基づく運だ。ギャンブルで幸運を手に入れるためには、冷静さが必要とされる。ロンドン大のオンラインカジノに関する研究によると、幸運な人々は2回の大勝ち、または大損をした後に、適切なタイミングでその場を去るか、掛け金を減らして次のチャンスを静かに待つことが多い。一方で、不運な人々は賭け金を増やし続け、最終的には何も残らない状態に陥りやすいそうだ。▽人生のように非純粋確率の運に左右される場合、テンションを高め、意識的に積極的な行動を取ることで幸運に近づけるという。特に効果的なのは日常的に運動をすること。エクササイズを習慣化すると、精神状態が向上し、不安が解消される。これにより、前向きな態度やチャンスを試す回数が増えていき、幸運が連鎖するらしい。▽日本へ里帰りするたびに、今は亡き男やもめの父と格安ツアー旅行を楽しんだ。彼がポツリと漏らした「この観光バスに乗っている人たちはね、皆が幸せな人たち・・」という言葉は、今も私の心に響いている。青空の下を歩くこと、知らない土地を探索すること自体が、すでに幸運なのかもしれない。日々の生活の中で、生かされていることへの感謝の気持ちを忘れずにいたい。(NS)
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▽ガソリンスタンドで並ぶことが嫌いな私。混雑しそうな時間帯を避けるようにしているけれど、それでも数台並んでいるのは普通。たまに、全く並ぶことなく給油できた日は最高にラッキーな気分になれる。▽今飼っている猫のトラちゃんがHumane Societyで猛烈ラブコールを送ってくれたのは本当にラッキーだった。トラちゃんの積極的なアピールがなかったら、他の猫ちゃんをもらってきていたかもしれない。トラちゃん、私たちを選んでくれてありがとう。▽近所に出没する大柄な猫が、いつの間にか我が家にもちょくちょく顔を出すようになったのは数年前。最初はご飯だけをあげていたが、ある雨の降る寒い夜に、我が家の玄関先に濡れて座っている姿を見て、うちの子に迎え入れることにした。いつも優しい気持ちにさせてくれるこの子が、私たちを選んでくれて本当にラッキー。▽学生時代、交換留学制度を利用して初めてサンディエゴを訪れた私。留学を躊躇していた私の背中を半ば強引に押してくれたのは亡き母だった。留学中に出会った男性と数年にわたる遠距離恋愛の後、結婚。そしてサンディエゴに移住。何かと大変なこともあったけれど、今はとても幸せだ。自分のことを思ってくれる人が周りに数多くいる中で生きてこられたことは、幸運以外の何ものでもないとつくづく思う。(RN)
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suzuko-san
私はこれまでの自分の人生を振り返るに、かなりの幸運に恵まれてきたのではないかと思う。私の人生は誰が見ても破天荒でハチャメチャ。故に、これまでも何度か崖っぷちに立たされ、オットットという極限まで追い詰められても、どうにか崖から転げ落ちないで、しぶとく、この世で未だに命を頂けているのは、単衣 (ひとえ) に幸運としか言いようがない。例えば、観光ビザで米国に滞在していた私は、雇った弁護士に言われるままに、観光ビザから就労ビザを申請すべくティファナへ。それをティファナではできないことを知りもせず、当然却下。入国審査で残り2週間あった観光ビザも取り上げられ、ハンドバッグ一つで日本への帰国を余儀なくされるも、知り合ったばかりの男性から結婚を申し込まれ、訪日してくれて結婚届を提出し、見事にビザがクリアできた。これをラッキーと言わずして何と呼ぼうか。日本で勤務していた出版社を辞めた際、スイスに駐在していた姉家族を訪ねて3か月滞在。その間にヨーロッパ各地を旅行した。この時に出会った人を通じて、次から次へと知り合う人たちのお蔭もあり、思いもよらなかったサンディエゴに暮らすことができている。これもラッキー。中には、自分の努力で成就したものもあるが、その多くが人さまのお力を頂いて、何とか今日までハチャメチャ人生を続けられている。衷心 (ちゅうしん) より感謝!である。  (Belle)
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jinnno-san
危険に直面して、幸運の女神さまが守ってくれたという経験が人生で3回あった (認識してないだけで、アブナイ目にはもっと遭ってるかも・・笑)。①スーパーの前に設置されていたガチャガチャ。なぜか本体の上に1本の包丁が不安定に置いてあり、マシーンの高さよりちょっと身長が低かったわたしは、その周囲 (包丁の周り) をはしゃぎながらグルグル走り回っていた。包丁が落ちて頭にブッ刺さっていた可能性があった。近所のオバちゃんが気づいて包丁をどけてくれた (女神?・・笑)。②殺人現場の第一発見者になったとき (え?・・笑)。事件直後に部屋の中で容疑者と2人きりで30分ほど過ごした (これ、本気で怖いやつ)。殺気立った雰囲気の中、わたしは無事だった (ヒュー!・・汗)。③強風の日にフリーウェイを運転していたら、壁用の木材が宙を舞いながら、わたしの車に向かってヒラヒラと降ってきた。映画でよく見るスローモーション画像のように。ブツかったら周りも巻き込んで大事故 (もうダメだー)。バンッ!と衝突した瞬間に目を閉じた (あれ?まだ運転できてる・・笑)。ミラーが折れているように見えた。あー、ミラーの破損だけで済んだのねーと、車から降りたら、ミラーは壊れてもおらず、内側に閉まっただけ (笑)。これって、女神さまに好かれてる以外にないでしょ (笑)。今日も女神さまに感謝すべく御神酒 (おみき) をいただく (飲みたいだけ・・笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私はスーパーへ買い物に行くと不運を感じてしまう。カート運が悪いのだ。とても高い確率で、真っすぐ進まなかったり、ゴミが入っていたり、ガタゴト派手な音が鳴ったりするカートに当たってしまう。スムーズに動かせるカートをゲットした時はラッキー!と思う。他に、幸運を感じることはないかな?どうも地味な幸せしか思い浮かばないので『幸運』 をネットで調べてみた。「幸運が訪れるスピリチュアルな前触れ」というのがあった。①ゾロ目やエンジェルナンバーを頻繁に目にすると幸運の前触れらしい。時間を確認すると4:44だったり、11:11だったりすることがよくあるが、まだ幸運は舞い込んでいない。②しっかり寝ていても眠いのは幸運の予兆らしい。これは大きな転機を迎えようとしているサインで、人生の分岐点では多くのエネルギーを費やすため、その時に備えて本能的にパワーを蓄えているのだとか。睡眠充分なのにいつも眠い私だけれど、まだ何も起きていない。③茶柱が立つのも幸運の兆し。これはよく耳にする。自身の活力が増大しているサインというが、飲茶 (ヤムチャ) を食べに行った時にジャスミンティーに茶柱が立ったけれど、やはり何も変わらない・・。熟々 (つらつら) 考えてみると、普通に生活できることが幸運に満たされている証拠なのだろう。(SU)

(2024年5月16日号に掲載)