Wednesday, 17 April 2024

ゆうゆうインタビュー シスター・ヘレン・マックヒュー

9 sister helen
 

SDで英語を教えていた先生が日本に興味を抱き、深く関わるようになった理由を聞かせて下さい。

日本への興味は当初からございました。私の家族が懇意にしている友人の中に日本人がおられたのも理由になると思いますが、正直に言うなら、日本と深い関わりを持つまでに少々回り道をしています。私はサンディエゴ大学で教鞭を執ってきましたが、研究休暇を得る権利を取得したのは英語学科の主任を務めた’70年代後半になってからです。私は昔から英語教授として言語学に関心を寄せていたので、スコットランドで1セメスター (約半年間) を過ごすという計画を立てたこともありました。残念ながら、大学側はそんな短期間の計画に賛同してくれず、逆に3年プランを呈示してきたのです。「3年間は長すぎる」 とばかりに、私は英国のオックスフォード大に目標を定めて入学を果たし、憧れのトリニティ・カレッジ (ニュートンの遺品が図書館に展示され、キャンパス内には“ニュートンの庭”もある) とオール・ソウルズ・カレッジ (ヘンリー6世により1438年に創立) などで講義を受ける機会に恵まれました。その感動は喜悦と呼ぶべきものでしたね。


——素晴しい経験ですね。しかし、オックスフォードは東京から離れすぎていますね。

1年間の研究休暇のうち前半を英国で過ごし、残りの半年間は日本というのが私の希望でした。日本に寄せる思いがありながら、それまではチャンスに恵まれませんでした。私が日本に行く本来の目的は…研究休暇を決定する委員会でも表明しましたが…言語学の分野で言う 「外来語」 を研究すること̶̶̶。特に、日本語には英語そのものを日本語化してしまった言葉が幾つかあります。私は英国でリサーチを開始しましたが成果はそれほど上がらず、その作業の大部分を日本で行なうつもりでいました。
 

—— 日本での勉強を開始するにあたり、希望の場所はありましたか。

9 2ご存知のように、私は大学教授であると同時に、国際的に活動する聖心修道会に属する修道女なのです。聖心女子修道会には東京の聖心女子大学があるので、躊躇することなくそこに決めました。因みに、日本語には“sacred heart”の語に相当する概念が無いので、最も意味の近い「聖心」 という言葉を使っています。聖心女子大学の広いキャンパスは東京都渋谷区にあり、そこで私は他のシスター達と生活を共にしていました。いつの日か、私はこの大学が遠い昔に皇室の居住地の一つだったと確信するようになりました。第二次大戦後には私達の修道会がここを買い取っています。とにかく美しい場所なので、あの黒澤明監督も自分の作品の中にそこの鳥居を使用したほどでした。私が聖心に到着して間もなく、英文学部の1人のシスターがローマ赴任を要請されて日本を離れることになりました。その空いたポジションに興味があるかと尋ねられ、、私は引き継ぐ意志を表明しました。この時、日本と深く関わる基盤が私に与えられたのです。


——日本の印象は如何でしたか。オックスフォード、そしてSDと比較して趣が全く違ったのでは。

まるで魔法をかけられているような心地でした。魅力的と言う以外に表現が見当らない世界というか̶̶̶。例えば、庭園の美しさ…私にも作りたいと思わせるほどの魅力がありました。でも、そう簡単ではなさそうですね。それに日本の美術館! 最高級の豪華な展示会を催していると思います。ヨーロッパの最高級品が最終的に日本に辿り着いたような印象を受けましたね。それに、何度となく日本の友達が京都、鎌倉、広島などの地方を案内してくれました。彼らは日本に滞在中の外国人全員にそういう便宜を図ってくれていました。とにかく、行く先々で思ったのは、本当に美しさに溢れる国だということ ——


—— 「郷に入っては郷に従え」 という諺がありますが、日本の生活様式を取り入れたことは。

その点については、他の外国人が日本様式の恩恵を受けたと耳にしても、私自身は余り適合できなかったと言わざるを得ません。一例を挙げると、キャンパスに小さな礼拝堂があり、そこで日本人のシスター達と一緒に祈りを捧げるのですが、彼女らは跪ひざまずいてうずくまり、その態勢で祈りを続ける…私にはどうしてもできなかった! 無理に真似をしても、ピンや針がヒザに刺さっていたでしょう。あの態勢は慣れていないと出来ません。食生活に関して言えば、私は箸使いの妙技を習得する能力が無かったようです (笑)。… 箸を持つと指の機能がマヒしてしまうような状態に陥るのです。


—— 聖心女子大学での学生達の様子は。

9 1本当に良い子ばかりでした! 初授業の様子を今でも覚えています。私は最初のクラスでアメリカ文学を紹介しようと思いました。言わば 「西洋の事始め」 といったカラーを出そうとしたのです。日本人学生は饒舌を避けて、余り話そうとしない傾向がありますね。…特に英語に関してはそう言えるでしょう。先生から教えられるという環境には慣れていて、受容力に優れています。反面、静かにしているだけではなく、あるクラスはマーク・トウェイン (『トム・ソーヤーの冒険』、『ハックルベリ・フィンの冒険』 で有名な米国の国民的作家) を興味深く呼んでいて、激しい議論もします。でも、別のクラスは水を打ったように静かでしたね。時々、缶切りを持ち出して雑音を立てたいような衝動にも駆られました! 彼女らは勤勉で、間違いを恐れる完璧主義者なんですね。


—— SDに戻られた後は USD-聖心女子大学の夏季交換留学生プログラムの創設に尽力されましたが。

日本を離れる前、聖心の教職員の間で夏のアメリカでの短期旅行/留学プログラム開設のアイデアが出ていました。帰米してすぐに聖心女子大学のシスターの1人から電話が入り、サンディエゴ大学 (USD) との提携の可能性を打診してきたので、私は協力の意向を表明し、USDに働きかけたのです。日本から第1陣の交換留学生が到着したのはその翌年だったでしょうか。私は若い人ほど留学体験は意味を持つとの思いから、大学1年生を中心に募集しようと思いました。私の妹マリー・マックヒューも私と同様に日本への思慕が強く、夏になるとサンフランシスコからサンディエゴに飛んできて、交換留学生プログラムに貢献してくれました。その妹が聖心女子大で教えることになり、私が引退した後、妹から 「ポジションに空きがあるよ。意欲はある?」 との連絡が入り、再び教壇に立つ運びとなりました。


—— 聖心女子大の卒業生には著名な人物がいると聞いています。

皇后陛下の美智子様のことですね。美智子様は優秀な学生として聖心女子大に在籍しておられました。在学中そして卒業後も学生会の委員長として活躍され、聖心修道会の日本支部長も務められました。3~4年毎に修道会の各支部が集合する国際会議が開催されるのですが、美智子様は私達の日本代表として前回のベルギー会議にも出席されています。美智子様は修道会のご友人も多く、誰からも敬慕されている方です。皇室に入られた後も会議にお顔を出されており、ご本人も意義のあるプログラムとして積極的に動かれていました。


—— 聖心女子大の教え子というのみならず、美智子妃時代に家庭教師に任ぜられたと聞いています。興味深いその経緯を話して頂けますか。

美智子妃殿下が 「シスターの中から自分の英語教師を1人選んでほしい」 と、当時の聖心女子大の学長に申し出られたのでしょう。美智子様は英語を専攻されていて、英会話の相手となるシスターをお探しになっていました。正式な英語レッスンではなく、日常会話程度のトレーニングが目的でした。学長が白羽の矢を立てた人物がこの私でした。「ご意向は如何ですか?」との学長の問いかけに、「それは是非」と私… (微笑) 。それからというもの、美智子妃とお会いする日は、宮内庁差し回しの車が聖心のキャンパスに現れて私を乗せ、皇居へ向かうという物々しさ。皇太子宮殿までの景色が美しく、サクラが満開の季節のゴージャスさは最高の贅沢と言えるものでした。

家庭教師では時事問題や社会の大事件を素材にすることはありませんでした。美智子様は実に聡明機敏で、しかも自然体で気取りの無い方でした。特に、童話や児童文学に情熱を注いでおられましたね。個人教授でお人柄をもっと知るようになると、美智子様が興味を示される事柄が分かるようになり、私が提供する話題には質問が返ってくるようになりました。時々は地方英字新聞の記事や、文学、あるいは私が美術館で観賞してきた展覧会を題材にディスカッションを展開することもありました。皮肉なことですが、世間的な興味を引く話題が豊富に出てくる場でありながら、美智子様が私的な目的で皇居外に出られたことは、恐らく安全上の理由から稀だったように思われます。仮に、美智子様が美術鑑賞に赴かれるなら、そのミュージアムは直ちに閉門して 「貸し切り状態」 にするでしょうし、警備上の問題など懸念に及ばず…。美智子様は決して何も言われませんでしたけどね…そういうものじゃありませんか。


——その後、美智子様にお会いになる機会はありましたか。

ちょうど4、5年前のことになりますが、私の友人が修道会のシスターと私を日本の旅に誘ってくれたのです。聖心女子大を訪問することが主な目的でしたが、その時、友人が私にその気持ちがあれば、皇后陛下に謁見できる用意もあることをこっそり教えてくれたのです。言うまでもなく、私たちは皇居を訪問しました。とても短い時間でしたが、印象深く素晴らしいひとときを過ごすことができました。我々は広大な中庭に面した部屋に案内されました。深い緑を湛えた庭の木々の美しさ…、そして、皇后陛下が中庭を臨む窓の前に現われ、我々と向き合ってお座りになりました。皇后陛下が我々の方をご覧になる時、彼女は私達と壁しかご覧になれない (笑)。でも、我々がお姿を拝見するとき、皇后陛下は華麗な風景の中に収まっているようで … その高貴さはまさしく絵画のようでした。彼女は、上品で、純粋で、本当に素晴らしい女性です。美智子様に再びお会いすることができたことは、本当に思いもよらない喜びです。その場を去る前に、私達は、天皇・皇后両陛下がいつの日かサンディエゴにもお立ち寄り下さるようお誘い致しました…。


シスター・ヘレン・マックヒュー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界44か国に存在する国際的なカトリック女子修道会「イエズスの聖心会」メンバー。サンフランシスコ出身。現在、同系修道会に所属する数名のシスターと SD 市内リンダビスタ地区で共同生活を続けている。サンフランシスコ女子大学で学士号、スタンフォード大学で英語学修士号と博士号を取得。サンフランシスコ女 子大学、マンハッタンビル・カレッジ、サンディエゴ大学 (USD) で英語を教える。サンディエゴ大学では英語学科主任教授を務めたほか、USD-聖心女子大学の夏季交換留学生/短期留学プログラムの創設に助力。


(2002年12月16日号に掲載)