レスター・テニー氏死去、「バターン死の行進」 生存者

レスター・テニー氏死去、「バターン死の行進」 生存者

カールスバッド在住の元米捕虜、強制労働体験を伝えた半生

2017年2月27日

第二次大戦中に旧日本軍がフィリピンで強いた「バターン死の行進」の生存者で、元米兵捕虜のレスター・テニー氏 (*写真上) が2月24日、カールスバッドの高齢者施設で死去した。

96歳。

サンディエゴの地元メディアが26日までに報じた。

テニー氏は1920年7月シカゴ生まれ。

米兵としてフィリピンに送られ、1942年4月、ルソン島のバターン半島の米軍降伏で日本軍の捕虜になった。

100キロ余り離れた収容所へ連行された「死の行進」を体験。

捕虜が詰め込まれた通称「地獄船」 で福岡に移送され、1943年9月から日本の敗戦まで、三井三池炭鉱で劣悪な環境下で強制労働をさせられた。

米帰国後、博士号を取得し、アリゾナ大教授を務めた。

1999年、三井鉱山などに損害賠償を求め米国で提訴したが退けられた。

「(体験を) 忘れることはできないが、許すことを学んだ」などと日本の学生や日米のメディアに体験を語り続けた。

2010年に訪日した際、当時の岡田克也外相が「非人道的な扱い」を謝罪した。

2015年4月に安倍晋三首相が米議会で行った演説を傍聴し、存命の被害者への視点が欠けていると批判していた。

捕虜に強制労働をさせた日本企業からの謝罪も求めていたテニー氏は、2015年7月に三菱マテリアルがロサンゼルスで元捕虜に謝罪した際に同席。

この時には、第二次大戦中、日本国内の銅山や鉱山などで米国人捕虜らに強制労働をさせたとして、三菱マテリアルの木村光常務執行役員、社外取締役の岡本行夫氏らが、元米兵捕虜でサンタバーバラ郡サンタマリア在住のジェームズ・マーフィー氏 (当時94) らと面会し、謝罪の言葉を直接伝えた。

第二次大戦中の米兵捕虜による強制労働に対して、日本政府はこれまでに謝罪しているが、企業による元捕虜への公式な謝罪は初めてだった。

木村氏によると、三菱マテリアルの前身である三菱鉱業が捕虜約900人を日本国内4か所の鉱山に受け入れ、過酷な労働を強いた。

マーフィー氏が労働させられたのは秋田県にあった鉱山。

フィリピンで捕虜となり、収容所に連行される過程で多数が死亡したとされる「バターン死の行進」 で生き残った1人。

その後日本に送られ、鉱山で奴隷のような扱いを受けたマーフィー氏も戦後70年間、謝罪を切望していた。

三菱マテリアルの謝罪の場には、福岡県の三井三池炭鉱で強制労働させられたテニーさんも同席した。

*写真右:日本軍に投降した米兵が連行された「バターン死の行進」 (1942年 = フィリピン・ルソン島)


(2017年3月16日号掲載)