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サンディエゴ小史(6)〜観光都市&コンベンションシティ〜
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コンベンション・センターで開催された共和党全国大会 (1996) はサンディエゴでの初の国家的イベントとなった
1980年代にはもう一つの重要な産業がサンディエゴに台頭してくる。観光産業がそれだ。美しい海岸、世界的に有名な動物園、シーワールド、カリフォルニア発祥の地オールドタウン、斬新な空間コンセプトのホートンプラザ、そして最高の気候条件——サンディエゴには人々を引きつけてやまない魅力が溢れている。(※サンディエゴ観光局の最新統計=2006年度=によると、観光、商用を問わず当地に訪れたツーリストは延べ2800万人に及び、年間合計消費額は実に60億ドル=約7260億円=に達する)
サンディエゴは西海岸最大の海軍基地に加え、ミラマー海兵隊航空基地(※海軍基地時代に映画『トップガン』の舞台になった)、ペンドルトン海兵隊基地などを有するミリタリータウンとして名が知られていたが、レーガン政権の1980年代後半に「米−ソ冷戦構造」が崩れ、この軍港都市にも産業構造の変化が現れてくる。中でも1992年、国防総省との兵器製造契約において首座を占める大手軍需メーカー、サンディエゴの中心産業として君臨していたゼネラル・ダイナミックス社の操業停止は象徴的な出来事だった。翌年には「軍用基地閉鎖および統合再編法」により海軍訓練センターが閉鎖された。
サンディエゴ市の人口が100 万人を突破したのは1986年。以後、人口急増が続き、それが地域産業の発展へとつながり、市民生活を活性化していった。しかし、1990年代初めにアメリカ経済はリセッションに見舞われ、サンディエゴ郡も深刻な住宅市場の落ち込みと景気減速に直面する。一方で、自家用車台数の増加による大気汚染の懸念が市民の間で論議されるようになり、従来の公共施設、公益事業、輸送システムが急速なペースの人口増に対応できないという、都市開発に伴う諸々の問題が顕在化してくる。こうした中、強力な都市開発抑制策による「サンディエゴのロサンゼルス化阻止」をスローガンに掲げる圧力団体 PLAN (Prevent Los Angelization Now!) が登場し、都市圏不拡大/無成長政策を唱える市議会議員を多く選出する結果となった。
とはいえ、抑制成長政策では人口増に対応する宅地造成計画に有効性を見出せず、将来のサンディエゴに及ぼす弊害を浮き彫りにする結果となった。1990年代前半のサンディエゴでは経済圏の中心部である郊外で人口集中と地価高騰が起こるスプロール現象が進行し、準郊外と呼ばれる地域での住宅開発に食指が伸びようとしていた。無成長論者が低密集の住宅建設を奨励し、商業中心部とその周辺での宅地造成ラッシュを回避する時、過疎地の土地開発利用 (丘陵、峡谷、オープンスペース、原野、田園地帯など) が進められ、結果として環境破壊を招来する矛盾が問われることになった。以後、都市開発問題は市長選の重要な争点として論じられ、2000年の選挙では「適応成長」を意味する「Smart Growth 政策」を掲げたディック・マーフィー氏が第33代市長に当選している。
1996年、当時のスーザン・ゴールディング市長(第32代)はジャック・マーフィー・スタジアム (現クアルコム・スタジアム) の拡張計画を発表。同年にサンディエゴ・コンベンション・センターで当地初の共和党全国大会が開催された。1989年の開業から約10年間、コンベンション・センターが地元にもたらした経済効果は累計30億ドルを超えた。1998年末より収容能力拡大を図る拡張工事が開始され、2001年9月に2倍の展示面積を持つ会議施設として生まれ変わり、アナハイムやラスベガスなどの近隣都市とのイベント誘致合戦に臨む態勢が整った。大型会議への便宜性が一段と増したコンベンション・センターの来場者数は今や年間100万人を超え、経済効果も年間12億ドル=約1450億円=へと飛躍し、欧州最大のコンベンション業界専門誌より機能性とサービス度が世界3指に入る評価を受けるなど、サンディエゴが描く「コンベンションシティ」への未来像に着実に近づいていると言えよう。
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