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サンディエゴ小史(5)〜市制施行と軍需産業の興隆〜
 
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観光客やサンディエゴ市民に親しまれているオールドタウン。19世紀の SD を再現する目的で復興された (c) Bazaar del Mundo
アメリカ—メキシコ戦争終結の翌年、1848年に取り交わされたグアダルーペ・イダルゴ条約により、サンディエゴはアメリカ合衆国に組み入れられ、1850年3月27日に市制が施かれる。同年、新しい波止場と倉庫が現在のダウンタウンに建設され、新たな街づくりの第1歩を踏み出す。市制施行当時のサンディエゴの人口は650人、郡全体では798人、カリフォルニア州全域では92,597人を数えた。

1850年から1870年にかけてサンディエゴで発展したもう一つの産業がある。それは捕鯨だった。当時のサンディエゴでは年間55,000ガロンの鯨油が採れたと言われる。その頃のサンディエゴ湾には無数の鯨が群泳し、小舟での湾内航行を危険にするとまで言われていた。

現在でも、例年12月から3月にかけて、鯨群が繁殖のために温暖なバハカリフォルニア沖を南下し、出産と子育てを終えてベーリング海、北極を目指して北上する姿を船上や地上から観察できる。

1867年4月15日、サンフランシスコを出発した蒸気船パシフィック号がサンディエゴ湾に到着。船上には「波止場の近くにニュータウンを」の夢を抱いた男が乗っていた。新しいサンディエゴの街づくりは東部出身のこの富豪アロンゾ・ホートン(Alonzo Horton)によって具体化される。今にも崩れそうな木造や煉瓦造り家屋が海岸から少し離れた丘に集まっていたサンディエゴの地に立ち、ホートンは現在のダウンタウンに当たる1,000エーカーの土地を1エーカー/26セントで買い取り、自分が設計した都市計画案に基づいてビルを建て、新しい波止場を誕生させた。

そして1871年、新郡庁舎がオールドタウンのホウェイリー・ハウス (Whaley House) からニュータウンのホートン・ホール (Horton Hall) へ移ることになる。

今でもオールドタウンはサンディエゴ発祥の地、ひいてはカリフォルニア誕生の地として名を留めている。観光客や市民に親しまれている現在のオールドタウン(Old Town State Historic Park)は、1829年から1869年までの時代を再現する目的で後年に復興されたものだ。

アメリカ初の大陸横断鉄道網の終着駅がサンディエゴに建設され、1885年にサンタフェ鉄道が開通すると人々の往来が激しくなり、サンディエゴはロサンゼルスに次ぐ南カリフォルニアのブームタウンとして急速に発展し、1885年に5,000人余りだった人口は2年後に6倍の30,000人に膨れ上がっていた。

1888年には世界初の電灯を備えたリゾート施設ホテル・デル・コロナドが開業する。以後、サンディエゴは高級リゾート地として全米にその名が知られる、歴代の大統領を始めとする各界のVIPが訪れるようになる。

1927年5月10日。「スピリット・オブ・セントルイス号」と名付けられた単葉機でニューヨーク・ロングアイランドを離陸した若いエアメールパイロットは、北東に進路を取った。セントルイス号は、サンディエゴのライアン・エアロノーティカル社 (The Ryan Aeronautical Company) がこの若者のために設計した飛行機だった。

離陸から11日後の5月21日。この日は世界史のみならず、アメリカ史、そしてサンディエゴ史上記念すべき日となった。この日、彼は6,000マイル彼方のヨーロッパの地に渡っていた。そしてサンディエゴは勿論、全世界から喝采を浴びていた。この若者こそチャールズ・A・リンドバーグ(Charles A Lindbergh)。史上初の大西洋無着陸横断飛行に成功し、パリに降り立った英雄だった。

この成功が、後のサンディエゴにおける航空機産業を基盤とする軍需産業興隆の契機となった。

1935年10月25日、コンソリデイテッド・エアクラフト社(Consolidated Aircraft Corporation)がニューヨーク州バッファローからサンディエゴに移転して新工場を建てる。この会社は当時のサンディエゴでは最大規模の民間企業となった。

第二次世界大戦が終結し、1950年代になると大規模な造船業がサンディエゴに誕生する。それは、ナショナルスティール・アンド・シップビルディング社(National Steel & Shipbuilding Corporation)が客室付き貨物輸送船の建造契約を連邦政府と交したことに端を発する。

この時代には、防衛用あるいは攻撃用無人ミサイルの開発が急ピッチで進められていたが、軍用機製造を手掛ける航空機産業も好況を維持してサンディエゴの中心産業の座を占めていた。効率的な機械操業が生産性を高め、70年代を迎えるとハイテク製品の開発に重点が置かれるようになり、日本企業も1971年に京セラ、翌1972年にソニーがサンディエゴに進出した。

1970年のサンディエゴ市の人口は696,769人、郡域では1,357,854人、州人口は19,971,069人だった。
 
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