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サンディエゴ小史(4)〜 オールドタウン  自治体の誕生 〜
 
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カリフォルニア州旗「ベアーフラッグ」は、米墨戦争 (1846-48) で勝利した米軍フレモント将軍が自らの偉勲を称えて掲揚した旗
1769年の入植者によって開墾されたプレシディオヒルの敷地は垣根で覆われ、天然のシバによる小屋が建てられた。その屋根はチューリー(カリフォルニアを中心とした湿地帯によく見られる大イグサ)で造られているのが特徴だった。

当初、この要塞のような居住地には女性の姿が見られなかったが、やがて所帯を持った兵士たちがメキシコから駆り出され、家族数も増えていった。1774年にサンディエゴ伝道所がミッションバレーに移され、プレシディオには兵士と入植者が残された。

当時の兵士は無給に近い状態でそれぞれの任務に就いていた。開墾から20年もの間、スペイン政府から給金が支払われなかった兵士も珍しくなかったという。金銭は支給されなかったが、彼らの衣・食・住については保証されていた。スペイン政府は食糧供給の目的で現地に牧場を作らせ、家畜を育てさせた。兵士の多くは現地のインディアン女性を妻に迎え、退役後にプエブロ(Pueblo=インディアンの集合住宅)で暮らす者も珍しくなかった。

プレシディオは年々衰退の一途を辿っていたが、メキシコとスペインの間で戦争が勃発した時に復興され、数年間、再び要塞として使用された。(※現在、この地点は40エーカーの広さを持つピクニック施設、プレシディオパークとして知られる)

1821年、メキシコとスペインの戦争が終わる。その結果、プレシディオに掲げられていたスペインの国旗が取り下げられ、メキシコ国旗に替わることになる。兵士はメキシコへの忠誠を強いられ、それまでスペイン国王への忠義の印として結わえていた髪を切り落とさねばならなくなった (この「結わえ髪」は今日の闘牛士の髪形へ踏襲された)。1830年までにプレシディオからは人影が失せ、やがて廃墟と化してしまう。

プレシディオを出たスペインの植民者と兵士はサンディエゴ湾へ向かって移住を開始し、やがて入り江に近い一画を居住地と定める。そこでは住居が建てられ、闘牛(ある時は闘熊)を娯楽とするコミュニティが出現する。この小規模な集落群こそ「オールドタウン」の原形だった。19世紀初頭のオールドタウンの人口は約800人に過ぎなかったが、次第に発展していく。

この頃、サンディエゴ港に初めてアメリカ国籍の船が入港する。ボストンから来た船の名はベッツィー (Betsy)。この船の入港目的は、当時サンディエゴの産業の一つになりつつあった毛皮の購入だった。スペイン統治下時代は外国船との商取引が厳しく取り締られていたが、スペインのカリフォルニア支配時代が終わりを告げて毛皮産業が振興する環境が整った。

当初、開拓者によってもたらされた数少ない家畜がメキシコ統治時代になると十分に繁殖し、至る所で野放しになっている姿が見られた。これらの家畜で、当時のアメリカ東部の製造業者が望んでいた獣皮を供給することにより、教会や牧場の財政が潤っていた。やがて、教会側は住民側との間に牧畜と屠畜(食用に家畜を殺す)の契約を交わし、それぞれが利益を分配するという共存共栄の経済形態を取るようになる。この時期には個人経営の農場も出現している。

ところが1834年、教会と全家畜、それにインディアンの土地がメキシコ政府の植民政策によって占領され、インディアンは捕えられて強制労働を命じられるという展開を迎える。

この年、オールドタウンが公式に自治体として発足し、市長も選出された。1846年にはアメリカ—メキシコ戦争(The Mexican War)が勃発し、米墨の覇権争いの渦中に巻き込まれたサンディエゴに動乱期が訪れた。同年の暮れ、アメリカ軍のカーニー将軍(General Kearny)がサンディエゴに到着し、この地を司令部の拠点と定めた。彼はサンディエゴの一切の商取引を停止させる一方、市民の資産保全を保証すると宣言し、この時からサンディエゴは事実上アメリカ保護下のコミュニティとなった。

1847年1月23日、カリフォルニアにおけるアメリカとメキシコの戦いの幕が閉じる。翌年2月、両国政府の間でグアダルーペ・イダルゴ条約が締結され、正式にカリフォルニアがアメリカの領土となる。

1848年6月14日、フレモント将軍(General Fremont)とその部隊がソノマ(Sonoma)のインディアン部落に彼らの功績を誇示する旗を掲揚した。この旗は中央に灰色のクマが描かれ、左上方には赤い星と1本のヒモが結ばれていた。いわゆる「ベアーフラッグ」が初めて掲げられた記念すべき日となった。だが、カリフォルニア州議会がこのベアーフラッグを正式に州旗と定めるのは1911年のことである。
 
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