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サンディエゴ小史(2)〜 1769年のサンディエゴ入植 〜
 
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サンディエゴの開祖、ローマカトリック教会のセラ神父はカリフォルニア布教に生涯を捧げた (セラ博物館)
セバスチャン・ヴィスカイノに続いて、別のスペイン人がサンディエゴの地を踏んだのは1769年のことだった。ヴィスカイノ入港後、何と167年を経た後である。その頃、「ロシアがカリフォルニアを狙っている」という風説を懸念したスペイン国王は、メキシコに対してカリフォルニア入植を命じる。「サンディエゴを永遠の入植地に」というヴィスカイノの夢は、遂にこの時、実現の運びとなった。

メキシコの当局者は直ちに遠征隊を組織する。陸路を伝ってサンディエゴを目指す2連隊がバレシタ(Valecita=現在のエルロサリオ=El Rosario)から、そして3隻の船が同じ目的地に向かってラパス(La Paz)港から出発した。ドン・ガスパー・ポルトラ(Don Gasper Portola)率いる海路隊には、インディアンを従えるローマカトリック教会のユニペロ・セラ神父(Father Junipero Serra)の姿があった。リベラ隊長(Captain Rivera)率いる陸路隊ではセラ神父の弟子、クレスピ神父(Father Crespi)が同じ役目を担っていた。

到着したのは船からだった。1769年4月11日にサンアントニオ(San Antonio)号が、そして2週間遅れでサンカルロス(San Carlos)号がサンデェイゴ湾に入る。しかし、3隻目の船について記録は何も語っていない。メキシコに引き返したのか、あるいは遭難か?

サンカルロス号が入港した時、乗員の多くはビタミンC欠乏による壊血病に冒されていた。歯肉が腫れて出血がみられ、皮膚に青黒い斑点が出て衰弱しきった状態で、上陸用のボートを降ろす力も残っていなかったという。サンアントニオ号のメンバーは帆布でシェルターを作り、海岸に病人用のテントを建てた。ところが、近くからは飲料水が手に入らず、湿った海風が病人の容体を悪化させた。彼らはテントの位置を内陸側へ移そうと考えるが、原住インディアンの攻撃を恐れて結局二の足を踏んでしまう。

リベラ隊長とクレスピ神父の陸路隊は1769年3月24日にバレシタを出発するが、道中それほどの困難には遭遇しなかった。彼らは現在のティファナからやや西寄りに位置する地点、サンディエゴから15マイル南に下った現在のネキシコ国境付近に到着した。私たちはクレスピ神父の日記から次の文章を読むことができる。

「我々が立っているこの高台から、海が内陸へ深く入り込んでいる地形が見渡せる。その入り江に浮かぶ2隻の船の帆柱が漸く見えた様に思えるが、未だに相当の距離が横たわるとみえて、判然とそれを見極めることは難しい。とはいえ、この景観は一行にとって大いなる慰めと喜びをもたらした。あれだけ待ちこがれていたサンディエゴの港が、今、我々の眼下にあるのだ」

彼らがサンディエゴに着いて目の当りにした光景は、ここかしこに横たわる壊血病による同志の死骸だった。テントはサンディエゴ湾を眺望できる丘の下に移された。そこは、原住インディアンの目にも入らぬ場所だった。(この丘はカリフォルニア初の要塞跡として残っている)

セラ神父とポルトラ一行は1769年5月15日にバレシタを出発。サンディエゴに到着するまでに幾多の困難に遭遇する。ポルトラはサンディエゴに到着する最後の4日間について、友人宛の手紙で次のように語っている。

「私は、30人の兵士と大勢のインディアンを伴って、サンディエゴと名付けられた小湾を目指して行進を続けた。だが友よ、私たちはつい先日、絶望感に襲われた。仲間であったはずの何人かのインディアンが食糧を全部奪って脱走してしまったのだ。私たちは引き返さない限り食糧の補給は覚束なかった。しかし、行進を止める訳にはいかぬ。私たちは歩き続けた。切ない思いで、山に行ってはガチョウやウサギを追いかけ回し、海岸へ行っては蛤や小魚を漁り、それらを食べては飢えを凌いだ。飲み水に至っては、最後の4日間のうち3日間も探し回った。あれやこれやの難儀を克服して・・・友よ・・・私たちはどうにかサンディエゴに着いた」

彼らが目的地に到着したのは6月27日のことだった。セラ神父は長旅で灰色に汚れた法服に身を包む小柄な人物だった。地中海のマヨルカ島で生まれ、両親は農場主だった。フランシスコ会修道士として聖職に勤しんで神学博士号を授与され、やがて教職に立ち、司書も務めた。

彼は36歳の時にメキシコのヴェラクルス (Veracruz) へ赴く。以後、献身的で勇敢な伝道師として原住インディアンの尊敬を一身に集めたセラ神父は、生涯に亘って脚の持病に悩まされながら、サンディエゴからサンフランシスコに至る地域で9つのミッションを創設する功績を残し、北米史にその名を印した。

ユニペロ・セラ神父は、サンディエゴに到着してから15年後の1784年8月、その波乱に満ちた71年の生涯を閉じた。        
 
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