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サンディエゴ小史(1)〜 カブリヨとヴィスカイノ 〜
 
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スペイン船隊のカリフォルニア上陸450周年記念切手に描かれたカブリヨ(1992)
スペイン国旗の下に参じて航海の旅を続けていたポルトガル人のホアン・ロドリゲス・カブリヨ(Juan Rodrigues Cabrillo)は、1542年6月27日、自分でも建造を手掛けた2隻の船・・・サンサルバドル(San Salvador)号とヴィクトリア(Victoria)号を従えて、メキシコのナヴィダッド(Navidado)を出港した。

キャラベル(caravel)と呼ばれるこれらの帆船は、それより50年前にコロンブスが航海した時の船とよく似ていた。カブリヨの使命は、北米の太平洋を可能な限り北進して沿岸域を探検し、入植に適した肥沃な土地を見つけることだった。スペイン国王はかつてメキシコで大量の金・銀が発見された事実を忘れることができず、新しい土地での幸運を夢見ていた。

ナヴィダッドを出発してから3か月後、カブリヨ率いる2隻の船は現在のサンディエゴ湾に到着した。カブリヨはその一帯をスペインの領土として名乗りを上げ、その自然の港をサンミグェル(San Miguel)と名付けた。

見たこともない船が接近してきた時、原住インディアンの驚きと恐れには想像を越えるものがあった。記録によれば、彼らは海岸に集まってきたが、最初は決して船に近づこうとはしなかったという。次の日、3人のインディアンが動物の毛皮に身を包んで船に向って歩いてきた。彼らは右手で何やらサインを送ってきたが、それはあたかも槍を投げるような仕草で、自分たちの威容を誇示するかの如くだったという。しかし、カブリヨ一行とインディアンの間に実際のいさかいは起こらなかった。

カブリヨの帆船は更に北進するが、1542年10月3日、オレゴンの海岸付近まで行ったところでメキシコへ引き返す。しかし、カブリヨは自分の船でメキシコに戻ることは果たせなかった。転落して負った傷が悪化して、彼はメキシコへの帰途で帰らぬ人となってしまう。カブリヨはサンタモニカ近くにあるサンミグェル島(San Miguel Island)に埋葬された。

当時、カブリヨは富裕だったが、彼の死後、資産は没収されて家族は一文無しとなって残されたようだ。彼の航海は歴史上重要なものとは考えられていない。金鉱など発見できなかったし、海路を発達させる目的で航海を続けていた訳ではなかった。

彼はただ、無数の海藻に取り囲まれた自然の良港を発見したにすぎない。しかし、それがカリフォルニア発見の第1ページとなった。オリジナルの地図と航海記録、それにカブリヨ個人の航海日誌が発見されていないのは、意図的に破棄されたのか、或いは秘匿されてしまったのか・・・。

カブリヨ以後の半世紀もの間、カリフォルニアとサンディエゴはスペイン人から忘れ去られていた。その後、イギリス人のサー・フランシス・ドレイク船長(Sir Francis Drake)がアメリカ西海岸沖の海路を開こうとして、カリフォルニア北部の海岸に上陸した。

すると、スペイン人もこれに呼応するように行動を起こし、セバスチャン・ヴィスカイノ(Sebastian Vizcaino)率いる探検隊が太平洋を北上していく。ヴィスカイノはメキシコ海路に出没する海賊を勇敢にも撃退したことで、スペイン王から英雄として称えられた。メキシコ住民であった彼は、航海士に身を転じるまでは裕福な有力商人だった。

ヴィスカイノがメキシコのアカプルコ(Acapulco)から出帆したのは1602年5月5日。カブリヨがサンディエゴ湾に到着してから実に60年後だった。彼は4隻の小型ながらも良船・・・サントトマス(Santo Tomas)号、トレスレイエス(Tres Reyes)号、旗船サンディエゴ (San Diego)号、それに名も無いもう1隻・・・を従えての航海だった。嵐による暴風雨で、これらの小船隊は3度に亘って押し戻されたが、同年11月10日、ようやくカブリヨが発見した良港サンミグェルに辿り着いた。

カブリヨの時と同様に、現地のインディアンはヴィスカイノの一行を恐れた。100人近くのインディアンが弓矢を携えて丘の上に集まり、彼らに対して何やら叫んでいた。入港してから2日目、ヴィスカイノは自分の旗艦の名とスペインのフランシスコ会修道士、サン・ディエゴ・デ・アルカラ(San Diego de Alcala)の記念日に因んでこの港をサンディエゴと改名した。彼らは船を磨き、海岸線を測量して海図や地図を作るなどして約10日間滞在した。

北方の海域へある程度進んだところでヴィスカイノ一行はメキシコへ引き返す。ヴィスカイノはサンディエゴを再び訪れる日を心に描いていた。メキシコに戻った彼は、サンディエゴが良港であること、その安全性が入植地として絶好の条件を備えているとスペインとメキシコの政府に熱心に説得する。

残念なことに、現存している資料からは、その後のヴィスカイノに関して何も知ることができない。しかし、彼が行った遠征は、先のカブリヨ一行よりもより正確で詳細な海図と地図、そして航海日誌が残されているという点ではるかに高く評価できる。

ヴィスカイノにとって、サンディエゴ入植は見果てぬ夢だったが、その実現と成功の種を将来に向けて十分に蒔いた人物だった。     
 
   
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