幼年期より視力が低下し、小学校から盲学校に進んだ少年は運命の苛酷さに押しつぶされそうになる。
16歳のとき、失うものへの不安、苛立ち、恐怖と対座して深く自己に語りかけた。
前向きに希望を求めていく人生。後ろ向きに不幸を呪う人生。
どちらも同じ一生。
一晩号泣して、到達した境地。
天上から一筋の光が差し込むのを感じた。
鍼灸手技療法教員への道を歩みながら、よき伴侶にも恵まれてヨットの世界と出会う。
来年3月にニュージーランドで開催される「視覚障害者ヨット世界選手権大会」へ向けてチームを結成、参加準備を進める日々。
夢を応援してくれるスポンサーを募っている。
—— 「視覚障害者ヨット世界選手権大会」について説明して下さい。
視覚障害者と健常者がチームを組んで世界各国から参加するヨットの国際イベントで、国際障害者セーリング同盟 (IFDS: International Association for Disabled Sailing)が主催しています。
次の大会は7回目を数え、来年3月13日から21日までニュージーランド北島中央部のロトルア湖を拠点として開催されます。
現在、その参加準備を進めているところです。
参加を実現する最大のハードルは資金難の克服です。
準備費用の援助を申し出て下さる企業や個人の方々がいらっしゃれば、とても有り難いと思っています。
—— 競技はどのように行われるのですか。
4人でセーリングを行います。
2人はサイテッド (健常者)。
2人がブラインド (視覚障害者)。
ヨットを操る最重要任務のヘルムス (舵取り) とメインシートトリマー (主帆操作人) はブラインド、サイテッドスキッパー (周囲の視覚的な情報を口頭で説明する役目) とジブシートトリマー (小帆操作人) はサイテッドが担当してレースを戦います。
ヨットを動かす重要ポジションにはブラインドが就くことになります。
世界大会に参加する意義は自分自身への挑戦ということです。
優勝しても賞金は出ません (笑)。
—— ヨットと出会った時期は。
2004年全日本ブラインドセーリング選手権大会
筑波大学付属盲学校鍼灸手技療法科の教諭を務めていた2002年ですね。
当時、妻がヨットを趣味にしていて、2人で乗れる機会はないものかと調べていたら、「障害者も健常者も一緒にヨットを楽しもう」というヨットエイド千葉の存在を知ったのです。
千葉市の稲毛ヨットハーバーを拠点に障害者ヨット支援活動を展開していたので、僕たちも東京から千葉へ引っ越しました。
僕のヨットへの関心は妻が機縁となっています。
—— 奥様との出会いは。
筑波大学理療科教員養成施設時代に休学して奨学金でサンフランシスコ州立大学に2年ほど留学していました。
帰国して英会話学校に通い始め、妻と出会ったのです。
彼女はアメリカ生まれで父親が空軍医。
幼い頃に3年ほど日本で暮らしています。
今では日常会話レベルの日本語は問題ないですね。
知り合って2年後、彼女は一旦アメリカに戻り、暫くはアメリカと日本の遠距離恋愛を続けました。
1996年に結婚しましたが、双方の両親から反対されて、それは大変でした。
向こうの親にすれば日本人+視覚障害者という特殊性+マイナス側面があり、お義母さんは猛反対だったと聞いています。
僕の両親もそうでした。
郷里の熊本で治療院を開業すると公言していた僕に安心していたのに、教員になりたいから東京へ行くと言って驚かせ、サンフランシスコに留学するという宣言に度肝を抜かれ、今度は国際結婚。
縁を切るまではいきませんでしたが、両親が諦めて結婚できたという感じです。
—— 視覚障害はどのように進行していったのですか。
「2009年視覚障害者ヨット世界選手権大会」への参加に向けて準備を進める
先天性で原因は分からないのです。
幼年期は弱視ながら見えていました。
中学時代は0.1程度でしたが、少しずつ視力が落ちて、今ではほとんど見えない状態です。
長い時間をかけて見えなくなるものですから、走ってぶつかっていたのが歩いても衝突するようになり、やがて階段を踏み外したりとショックが度重なっていきました。
思春期でしたから「なぜオレは生まれてきたんだ」「どうしてオレを産んだのか」と親に食ってかかり、随分と困らせました。
亡くなった父親、そして母親も未だに「目の見えない状態で産んで申し訳ない。財産も残せないし…」と詫びるのですが、見えなくなったからこそ上京できたし、アメリカにも行かせてもらえた。
ヨットの世界も知ることができたと思いますね。
—— 我が人生の転機について。
ある暑い夏の日、16歳の自分がマイナス思考をプラス思考に変えられた瞬間こそが人生の転機ですね。
後ろ向きに悩むだけの日々を送る一生か、前向きに希望を求めていく一生か。
どちらを選ぶか自問自答を繰り返していました。
普通にできたことが不可能になる悔しさ、杖を持つことへの強い抵抗感を克服できるのか。
天草の海に身を投げてしまおうかと思い詰めたこともありました。
失うものに対する不安と苛立ちと恐怖に一晩中号泣して、涙も涸れたとき、天から一筋の光が降りてきたように平常心を取り戻すことができたのです。
この苦しみをポジティブに転じれば、生きる原動力になるかもしれないと考え始めたのです。
—— 忘れられないエピソードは。
「どんな苦しみもポジティブに転じれば、生きる原動力になります」
サンフランシスコ留学中の武勇伝。
地下鉄に乗ろうとしたら腕を貸してくれた人がいて「俺が切符を買ってあげるから財布出しな」と言うのです。
「切符は自分で買えるから」と断ると、「それでもいいから出しな!」と強い口調になり、これはちょっとおかしいなと思っていたら、僕のポケットから財布を抜き取ったんですね。
財布には人から頼まれた大事な物も入っていて、このままじゃマズい。
恐怖心もあったのですが、僕は小柄ながら柔道を心得ていて、逃げようとする男のシャツを後ろから握って手前に引き、大外刈り1本でドーンと倒し、馬乗りになって「ヘルプ!」と叫んだのです。
すぐに警官が飛んできましたが、視覚障害者の日本人がアメリカ人の強盗を柔道で組み伏せたという笑い話には違いないですね (笑)。
反射的な行動とはいえ、身の危険を顧みればあまり勧められない…。
反省すべきですね (笑)。
—— 現代に生きる人々へのメッセージは。
社会に出てから心理学の基礎的な理論も勉強しましたが、いかに心の悩みを抱えている人が多いのかを知りました。
僕も死のうと思ったけれど、プラス思考に転じて生きていけば素敵な人と出会えるし、多くの人からも援助を受けることができる。
素晴らしい人生が待っているのだと ー 。
アメリカにも「希望を抱いて日本を後にしたけれど、思い描いていた生活と違う」「こんな状況に置かれている自分が不本意」などと悩んでいる人もいると思います。
そんな人たちに「自分の見方、処し方、状況の捉え方で人生が変わるんだよ」というメッセージを発信したい。
健常者のあなたがサイテッドスキッパーの役目を担い、周りの状況を報告してくれるならブラインドの僕の操船を可能にする。
そういう役割ができるのに死のうとするのはどうしてなの ーというメッセージを絶えず発していきたい。
アメリカにはエベレスト登頂に成功したブラインドも存在します。
健常者と一緒に登った結果です。
「見えない者」と「見える者」の真の共生がヨットでも実現できると思うのです。
マスメディアを通じて共感して下さる支援者が集まれば実現不可能ではないと信じています。
—— 将来の夢は。
ヨット仲間で支援者の大阪キッチン・オーナシェフ、北村隆さん(右端)
ヨットでの太平洋横断が私の一番の夢です。海に出れば人種は関係ないし、健常者から視覚障害者まで皆が一緒です。
ヨット体験を通して、逆に視覚障害者から健常者へ豊かなメッセージを贈ることができるのです。
また、心に悩みを抱え、生きる意味を失い、暗闇に包まれている人たちを日本からサンディエゴに呼び、ヨット体験などを通して、彼らに光を与えられるような組織を創設することも私の大きな夢です。
僕にとって妻の存在は本当に大きい。
ヨットを続ける我がままな自分を理解してくれています。
今は娘が幼くて、妻はヨットの時間が取れないのに、練習には車の送迎もいとわない。
本当に感謝です。
週末はサンディエゴで家族と一緒にヨットで寛ぐ。
それも将来の夢ですね。
僕にとってサンディエゴは、熊本、東京に続く第3の故郷ですから。
(2008年5月16日号に掲載)