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 shinji-san.gif   父と交した最後の会話。「今度会うときは葬式だな」。脳出血で車イス生活を強いられながら、攻撃的で相手を圧倒する気迫は昔と変わらぬ父が、私が帰米する当日にそう呟いた。力なく笑う父の姿に生来の鋭さは全く影を潜め、初めて見る穏やかな好々爺 (こうこうや) の佇まいに一瞬ギョッとさせられた。「誰の葬式だよ。行くよ」と言葉を返して私は新幹線に乗り込んだ。その2か月後に父は他界したのだが、あの時、妙な胸騒ぎを感じたのを覚えている。子供の頃、毎週顔を合わせている塾の教師が、その日だけ生徒一人一人と握手をして激励の言葉をかけながら教室内を回った。皆が違和感を覚えて帰宅したが、数日後、先生が急死したという報せが届いた。この類の話は周りからもよく聞く。命旦夕 (めいたんせき) に迫った魂は浄化されて、安穏の中で黄泉 (よみ) に旅立つのだろう。思うに、人間は無意識に自分の死を予知する能力を備えていて、それとは知らずに周囲にサインを送るのではなかろうか。(SS)
     
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sato-san.gif   ▽ 子どものころ、親戚の家に預けられたことがある。幼稚園の帰り道、落とし穴に埋ってしまったり、ベタベタのトリモチに掛かって動けなくなったり、「よそ者」ということで結構イジメられた。福島県の会津坂下駅から上京するその日、意外なことに、ガキ大将のツヨシ君が子分を連れて見送りに来てくれた。汽車がシュシュと動きだすと、センベツにもらった赤ベコの首がユラユラ揺れた。東京タワーができた昭和33年、誰にとってもトーキョーはキラキラ輝いていた。
▽ 留学生としてワシントン州東部の街で暮らしたことがある。黄金色に輝く小麦畑がどこまでも続く丘陵地に、広大なキャンパスが忽然と現われる。夏は暑く、9月になるといきなり冬将軍がやって来る。卒業式の翌日、U-HAULにガラクタを積んで一路 LAへ向った。友人に引き取ってもらった子猫のハン (名前) が、背中に雪を積もらせて新天地への旅立ちを見送ってくれた。 「不況にも  右肩上がりの  我が目方 」 (NS)

     
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  数年前に映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を SD Asian Film Festival で観た。温かくて、笑える場面が沢山あって、庶民的なコメディ映画だと思っていたら…途中から「漫画家と男の子の別れの場面」や「自動車修理所の家族と青森の女の子の別れの場面」など感動的な別れの場面が次々と…。とても感情的な私はいつもの通り、涙ボロボロになっていた… (¡_¡)。映画が終わった時に、隣に座っていたHさんが私のビショビショのTシャツに気が付いて「どんなに泣いたの?」と一言。結構恥ずかしかった(>.<)。
でも、一番は20歳のとき、留学する私を日本まで送ってくれたお父さんと駅で別れたときのこと。泣き過ぎて言葉が出なかった私に、父は「頑張れ!これからは1人だぞっ!」「もういいから早く帰れ!」と怒鳴り、背中を向けた。「今まで親が死んだときしか泣いたことがない」と言っていた父が、その日は駅から空港までずっと泣いていたという。あの時の父の後ろ姿は一生忘れられない。 (S.C.C.N.)

     
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  別れの場面はいつも空港です。サンディエゴで一緒に過ごした友人、彼、日本から遊びに来た家族や友達を空港まで見送りに行く機会が今までに何度もありました。里帰り、出張、旅行などでの暫しの別れ、帰国、引越しなどでの長期間の別れ … 様々ですが、どの人との別れも忘れられないです。見送りはいつでも結構さみしいですね。別れの瞬間は「今度はいつ会えるんだろう」と少し感傷的になり、さっきまで一緒にいた人が搭乗口へと消えていくと、ひとり取り残された気分。そして、空港からのひとりでの帰路がまたさみしい。出来れば見送りは数人で行きたい。“タイタニック”  “ひまわり” “ゴースト”… 別れは映画でもよく出てきますね。でも、現実味のある映画の方が残るかな。最近では『ジョゼと虎と魚たち』。あり得る話。「切ないな〜」とほろ苦い気持ちになりました。 (YA)
     
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  1. 保育園の年中組の担任だった保父さんとの別れ。 園内で唯一の男の先生で、遊び方も過激で私たち園児の人気者だったが、ある日、私たちを集めて座らせ、急に保育園を辞めなければならなくなったと告げた。「どーしてー?」 と口々に叫ぶ私たちを前に、いつもはひょうきんな先生が男泣き。大人の男の人が泣くのを見たのはそれが初めてだった私はあっけにとられた。あれからウン十年も経つのに、未だに強烈な別れの場面として記憶に残っている。
2. 実家で飼っていた愛犬をブリーダーの家から連れて帰ってくる時の母イヌとの別れ。私たちが譲ってもらいに行った時には、その子1頭しか残っていなかったが、元気に母イヌと庭で遊び回る姿をみて即決。でも、その子を抱き上げて車に乗り込んだ時に、窓から見えた母イヌの悲しそうな顔が今も忘れられない。仲睦まじい犬の親子を無情に引き裂く鬼になったような気がした。私の膝の上で震えながら丸まっているその子をなでながら、「必ず幸せにするから許してね」と心の中で母イヌに謝った。 (RN)

     
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・・・ まあ、また何を書けばいいのか分からないお題がやって来たねー。。
う〜ん
・・・ 。あ、そういえば、中学の卒業式の日は結構可愛かったと思う。
・・・ 式と担任の先生の話が終わると、後はみんな教室で写真を撮ったり、サイン帳を書いてもらったりしていた。そして、好きな子からは名札や制服のボタン、クラスバッジなどをもらうのである (私は部活の後輩の女の子にボタンをせがまれて??だったけど)。高校では別になってしまう友達と話していると「ボタンくれねぇの?」と、ケンカ友達の男の子。ちょっと好きだったけど照れ臭いので、その日はほったらかしていたのである。「俺のもやるし…」「…」しばらくして卒業式の写真が出来てきた。見ると撮った覚えのないその子の写真がいっぱいある。コイツ勝手に人のカメラで自分の写真を撮っていたらしい。…今は結構いいおっさんになってるんだろうな。 (SM)

     
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  私は、5年間の結婚生活を除いては、人生のほとんどが独身。この間の男性との出会いと別れの数は、人一倍、いや人三倍以上はあっただろうか・・。そんな波乱の中に身を委ねてきて、今では“別れ”に対しても、かつてほどの悲しみも失望も感じなくなってきた。
こんなオバさんになってしまった私であるが、まだ十分にウブであったころ・・。私は、自分が入学した年から国立で初めての6年間一貫教育制度が導入された学校に入学し、中学、高校と同じ学校に通った。卒業式の日、6年間の友との別れが辛くて、悲しくて、日が暮れても、遅くまで教室で皆で抱き合って泣いた。さもこれが今生の最後の別れであるかのように。教室から出たら、皆との糸が切れてしまうかのように。しかし翌日、図書館でまた皆と会って、「昨日のあの涙は何だったの?」であったのだが、それはともかく、あんなに“純”な気持ちで泣き、別れが死ぬほど辛かった思い出は後にも先にもない。若いということは、何に対しても熱くいられることなんだなあ・・と、そのことを思い出す度に、今更ながらに思う。 (Belle)

     
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  振っても振っても飛び出てこない、油で袋の底にくっついている最後の “〜(ニョロ) ” 1個、ベビースターラーメン (チキン味)。やっぱ、チキン味が一番うまいだぎゃ〜 (名古屋弁)。食べ出したら止まらないナンバー・ワンだがや。他は考えられない・ありえない。後に登場したうどん味などは外道。5袋が連なって売られているベビスタは、余分な味がくっついてくるからやだな〜と悲観していたら、チキンラーメンとベビースターラーメンが同じものと判明。この時は背骨がゾクゾクしたよぉーっ。これでバクバクバリバリ (容量が多い分だけ) 連続してベビスタ食べられる〜っ!と…。最近はビッグサイズのベビスタも出回っているようだけど、あれじゃ違う。小さいニョロをつまんで食べるのがオツ。最後の1ニョロを食べるときは、お土産に頂いた八つ橋の最後の一切れを食べる前に、冷凍保存すべき?と悩む、別れ惜しい気持ちと同じ。しかしこの程度の別れは、次のベビスタを開封している時にはすっかり忘れてるけどね・・。 (満星と那月と彩雲のおば)
     
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  死は永遠の別れを意味する。私のこれまでの人生で忘れられない別れは、母と祖母の死である。悲しみは痛みに似ていて、私はその痛みを堪えようとするあまり体中が強ばり、通夜でも葬式でも涙が出てこなかった。そのためか、いつまで経っても心の中に痛みのしこりが残っている。10年以上経った今でも、しょっちゅう2人が夢に出てくる。夢の中で私は「なんだ、やっぱり死んでなかったんじゃない」と安堵するのである。このように定期的に夢で遭遇することで、母と祖母の存在は私の中で生き続けているとも言えるが、その姿は私の歪んだ視点が加えられ、本人たちとはかけ離れている気もする。 誰かの死と向き合うということは、自分の生を確認することでもある。これからの残された人生を、私は悔いのないように生きたいと思う。 (JG)
     
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 (2008年4月1日号に掲載)
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