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 shinji-san.gif   昭和30年代後半。子供たちが界隈に屯 (たむろ) し、入り乱れて遊ぶ風情に素朴さがあった時代。幼稚園児の私は病弱で食が細く、いつも母を心配させていた。食事をしない私に困り果てた母は一計を案じた。友達と一緒なら食も進むだろうと、子供たちの中からA君を選んで一緒にランチを食べさせようとした。いつも鼻水を垂らし、林檎 (りんご) の頬をしていたA君。それほど親しくなかったが、食欲旺盛で元気な子だった。母がこしらえる定番は、レトロ情緒あふれるアルミ製の容器で盛りつけた、ケチャップ炒めご飯に玉子をのせた半熟オムライス。一心不乱に完食するA君をしげしげと眺めながら、毎回、自分の分も食べてもらっていた。そのA君が翌年、小学校入学後まもなく交通事故で他界した。母が作ったオムライスを誰よりも食べて、6歳で閉じたA君の短い人生は何だったのか…。全校朝礼で「A君は与えられた役目を果たしたので、あの世から祝福を受けたのです」と話していた校長先生の言葉が今でも耳の奥に残る。(SS)
     
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sato-san.gif   ▽生きていれば今年102歳になる祖母が嫁入り道具として持ってきた箱枕。遊び人の祖父を故郷に置いて一家揃って上京してからも、長い間、その箱型の木枕を使っていた。小引出しを開けると、桜の下で祖父と一緒に笑って写っている若い祖母のセピア色の写真があった。その箱枕は、硬くて凛とした明治のオンナそのものだった。▽子供の頃、冬になると布団の中に暖かい湯たんぽがあった。朝になると、中のお湯を洗面器にあけて顔を洗った。足元に湯たんぽ、ふところに猫のミーを抱いて、障子とふすまの寒い日本の冬を乗り切った。 ▽小学校時代、テレビ、洗濯機、冷蔵庫という3種の神器がわが家に運び込まれた。当時の洗濯機には脱水機がなくて、横に付いているハンドルを回すと、せんべいのようになった洗濯物が出てきた。洗濯板とたらいが姿を消して、母も祖母も洗濯から解放された。高度経済成長に向けて日本もわが家もキラキラ輝いていた。 「春太り  夏秋やせずに  冬太る」 (NS)
     
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  久しぶりに台湾と日本に行ってきた。家族はもちろん、昔のクラスメート、会社の同僚、長年の友達などに会って、とても楽しかったの。一番嬉しかったのは、今回の台湾の旅では妹2人のお陰で 「懐舊 (かいきゅう) ツアー」 が出来たこと (^.^)。 通っていた幼稚園、小学校、中学校、高校、短大まで3人で全部行ってきた。道も周りの環境も学校の大きさも昔とは変わって、立派になっていた。でも、一番印象的だったのは、今から約30年前に私達が住んでいた家を探したときのこと。「この辺だっけ?」「道こんなに狭かった?」「あった! ここだ!」と嬉しくなった3人は両親に見せるためにも記念写真を沢山撮った。歩きながら車に戻る途中、あるおばちゃんを見かけ、一つの思い出がよみがえった。「50 cc のスクーターで突っ込んじゃった家の人だ…!」 声を掛けてみると、彼女は「あなたたち3姉妹のことをよく覚えているよ、大人になったね。」と懐かしげに話してくれた。本当に懐かしかった〜。 (S.C.C.N.)
     
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  子供時代に読んだ本の数々を懐かしく思います。父がお土産にと買ってきてくれた『ドリトル先生シリーズ』。動物たちと話が出来るドリトル先生がとても羨ましかった。物語も面白くて何度も読み返しました。大好きだった 『シートン動物記』。いろんな動物たちの話も好きでしたが、美しい挿絵に憧れて、一生懸命に真似て描いていました。個性的なキャラクターがたくさん登場する『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』、『オズシリーズ』もお気に入りだったし、ヤンソンの『ムーミン谷の彗星』、ミヒャエル・エンデの『モモ』も不思議な感じが好きだったのを憶えています。他にも、結構いろいろ読んだな…家なき少女、小公女、若草物語、ジェーン・エア、ハックルベリー・フィン、赤毛のアンシリーズ、大草原の一家シリーズ、西遊記、ロビンソン・クルーソー、十五少年漂流記…などなど。かなり世界の名作文学が好きな子供だったらしい。でも今は、和書をよく読むかな。 (YA)
     
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  小中学校の思い出はみんなレトロチック。小学生の頃は学校をあげて椎茸栽培に励んでいた。1mくらいの細い丸太 (?) に椎茸菌を木づちで埋め込むと、そこから椎茸が生えてくるのである。収穫したものはみんなで分けた気がするが、なにせ当時は大の椎茸嫌いで食べた記憶がない。今なら美味しく味わえたのに…。 ベルマーク集め。小学生時代はまっていた。貯めて学校に持っていくのが楽しみだった。今でも子供は集めているのだろうか。 自転車通学時のヘルメットとたすき。ちょっと不良っぽい子はヘルメットのかぶり方とたすきの掛け方でささやかな反抗を示していたな〜。 服装検査。1列に並んで、端から順に先生がスカート丈、爪 (マニキュアを塗っていないか)、髪 (染めていないか、パーマをかけていないか、派手なリボンをつけていないか etc.) などをチェックしていく。とても余計なお世話だった。部活 (体育会系) の先輩後輩の関係。恐かったけれど、いまでは体験できない懐かしい思い出のひとつ。 (RN)
     
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shiori-san.gif   <学校> 当時、私の通っていた小学校の暖房といえば、ごんごん中で燃える火が見えるごつい石油ストーブ。上では水を張ったアルミの洗面器がいつも湯気を上げていた。目の前に座ってる子は汗ばむほどなのに、教室全体はいつまでたっても暖まらない非効率的なやつだったけど、洗面器の中に給食の牛乳を瓶ごと突っ込めばホットミルク、パンを直にストーブに載せればトーストが出来た。休み時間に雨や雪に濡れた手袋やズボンを乾かせるのもストーブだから出来るワザ。今でも冬の学校と聞くと、真っ赤なほっぺたでストーブを囲む友達の顔が浮かぶ。<手袋!> ・・・て今、思い出したんだけど、みんなも「手袋人形」って作ったのかな…? 5本指の手袋、ひとつをくるんとひっくり返して指の部分を中に入れて、もうひとつの中指と薬指でそれを縛って、またくるんとひっくり返して… (思い出した?)。学校の行き帰りとか、よくこれで遊んだなー (^.^)。 (SM)
     
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  ワタシは、小さい頃からテレビっ子だった。特に、アメリカのドラマが好きでよく観ていた。「パパは何でも知っている」「ボナンザ」「I love Lucy」「ルート66」「ハワイアンアイ」「奥様は魔女」・・・それでアメリカに憧れたかというと、決してそうではないのであるが、羨ましいと思ったのは、アメリカのドラマの中でよく見る光景で、日本のそれには決してない、パイを顔に投げつけることである。あれを子供心にどうしても一度やってみたかった。で、実際にやってしまった!のである。15歳の誕生日パーティに友達が我が家に集まってくれた時のこと。母親がいちごのショートケーキを用意してくれたのであるが、友達とパイ投げの話になり、「じゃあ、ちょっとやってみよう!」と、友達の顔に実際に投げつけた。当然のことながら、客間の座敷もふすまにもクリームが! あとで母親からどれだけお目玉をくらったことか・・。その後数日間は、家の中で小っちゃくなっていたけれど、あの時の「とうとうアメリカした!」爽快感は、今でも忘れられない。 (Belle)
     
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  人生いろいろあったけど (まるで90歳の方が喋ってるようだけど違います)、昭和の思い出がやっぱりジーン。。「金八先生」(金曜日の8時からよ)、「あぶない刑事」(めっちゃかっこよかったよねーっ) ときたら、しぶい裕次郎軍団でしょう。お笑いで言えば忘れちゃいけない「キン (欽) どこ」。でも、一番昭和を代表するのは… 今は亡き長さん率いる「8時だよ、全員集合!」。 「いや〜ん、ばかーん、ウッフーンッ..ちょっとだけよ〜ん」。アメリカでは絶対考えられない光景がここでは盛り沢山! お子さま達の目の前で、しかも劇場の (生放送!) 机の上で、カトちゃんがタイツのおみ足を空中に挙げたり、オッパイ丸出しのねぇーさん達がステージを走り回ったり、ソフィスティケートさのかけらもない、孫からおばあちゃんまで家族全員が居間のこたつに入って見入る、ストレート単純バカ丸だしジョークの連発。が、いつも温かい気持ちになれる。なんせ私と妹はドリフを劇場に観に行ったくらい。入場券のなかった父親はどうするのかと思ったら、サングラスをかけて、すぅーっと何気ない顔でスタッフ入口から入場してたなぁー。それが昭和だよおぉー。
(満星と那月と彩雲のおば)

     
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  小学生の頃、よく家族揃って海水浴に出かけた。長崎半島の最先端にある脇岬海水浴場という海だ。白い砂浜の海岸が1.3キロほど続き、アクアブルー色の海には小さい魚も泳いでいる。後ろ手には山があり、海から海岸方向を眺めると、ギラギラした夏の緑が美しかった。ここは「日本の水浴場88選」に選ばれているらしい。桟敷があって、何度か宿泊した記憶もある。私と弟は海で泳いで、上がってきてご飯を食べて、また泳いで、また食べてと、飽きることなく繰り返した。夜、寝る時は体が波の動きを覚えていて、不思議な浮遊する感覚の中でぐっすり眠りについた。今でも、帰郷するたびにこの海岸を訪れる。でも、昔のように1日中遊泳することはない。いくら泳いでも泳ぎ足りなかった純粋で無垢なあの頃を思うと、少し切ない気分になる。 (JG)
     
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 (2007年11月16日号に掲載)
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