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これを書いているのは65回目の広島原爆の日。8月を迎えると1冊の本を思い出す。『幻の声 NHK広島8月6日』 (白井久夫著/岩波新書)。広島に原爆が投下された直後、爆心地から僅か1 kmという至近距離で壊滅的な被害を受けたNHK広島中央放送局から、息絶える天使のような美しい女性の声が流れていた。「広島は空襲で放送不能となりました。大阪中央放送局お願いします。お願いします・・」。交信を呼びかける悲しげな声は30分ほど続いて忽然と消えたという。戦後30年が経過した1975年、NHKのラジオ番組制作に携わっていた白井氏は1通の投書を手掛かりに女性の声の正体を追い求めるが、該当者は存在しなかった。「幻の声」のミステリーは深まるばかり。17年も続けた渾身の取材から浮き彫りにされたのは、ごまかしの大本営発表であれ、リアルタイムの情報源であるラジオと国民との深い関係だった。灯火管制のように市街地の位置を敵機に悟らせない電波管制 (夜間の出力制限、昼夜の周波数変更) も行われていたとは・・。不思議な感動を覚える異色の戦時ドキュメンタリーだ。 (SS)
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▽昔、よく通勤電車の中で本を読んだ。あえて電車を1、2本遅らせて特等席を確保した。涙で本がにじんだり、笑いを必死にこらえたり、ドキドキしながらページをめくったり、時空を超えて古今東西の哲人と出会ったりして、車両がタイムマシンのようだった。▽今は本を読む時間を確保するのが難しい。毎日が忙しいのだ。でも世の中には、新書1冊を15分で読むヒトがいるそうだ。この速読法は訓練を積めば誰もがマスターできるとのこと。かたまりでパッと見て、瞬間でイメージ化するこのテクニックは、脳の活性化にもつながるらしい。▽もうじき83歳になる母は iPad で読書を始めた。著作権が消滅した文学作品を公開している電子図書館「青空文庫」を次々と読んでいる。1冊90円で本をデジタル化してくれるサービスもあるらしい。先日、白内障の手術をした84歳の父はもっぱらブックオフ派。紙に印刷されて綴じられた本には、知が凝縮された一つのプロダクトとして言い難い魅力がある。電子化が進めば進むほど、嗜好性の強いものとして、本は生き残るような気がする。 (NS)
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先月、年に一度のサンディエゴ・コミック=コンへ行ってきた。何も知らない私は、旦那の影響でアメリカの代表的なコミック Superman、Batman、Star Wars などが少し認識できるようになった。会場ではブースの数、アーティスト、コミックファンなどの人ごみで、とにかく凄かった!! 初期の頃からイベントを企画してきた David Glanzer さん (Director of Marketing & PR) の話によると、コミック (漫画) が好きな人々が集まるだけのイベントだったそうだが、今ではハリウッドのヒット映画、テレビ番組などで大活躍している有名スター達も出席する大イベントになってきた。1冊何と1万ドルの値段が付いている漫画もあった! しかし、漫画がこんな莫大ビジネスになるとは本当に信じられない。コミックの世界は想像以上に凄いなぁー。 (S.C.C.N.)
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小さい頃から本が好きだった。いちばん最初の頃に持っていた本は『ちいさなうさこちゃん』だった。うさこちゃんを真似たらしい絵と、自分の名前らしきものがクレヨンで落書きされた幼児用の本があったのを覚えている。きれいなイラスト入りの「世界の絵本」シリーズも持っていた。それぞれのタイトルをおぼろげにしか覚えてないので、グーグルしてみた。『しろいやぎバケット』に『王様のすきなピックル・パイ』、『ボタンくんとスナップくん』、『こりすのホプシー』などなど全14冊シリーズだったらしい。表紙の写真がとても懐かしい。そういえば小学校低学年ぐらいまで繰り返し読んでいたな。それから数年後に新しい家に引っ越した時に、そのまま置いていったんだ (古い方の家はその後、しばらく物置状態になっていたので・・)。残していった荷物はいつのまにか片付けられ、今はその家を賃貸にしている。せめて本だけでも今の実家の方に移しておけばよかったな〜・・・でも、私の荷物が増えても母が困るだけかな。 (YA) |
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悪いクセがある。あれこれと古本の文庫本を買うこと……と言えば聞こえが良いが、未読の書が山ほど眠っているのに、さらに買ってしまうのがプロブレム。ページをめくられるのを待っている30冊の本。早く全部読みたいと切に願う私。それを阻止する長大作『ロード・オブ・ザ・リングス』。そう、この一つの長い物語がなかなか読み終わらないのがイケナイのだ。2センチの厚さの9冊の本から成り、ページは上から下まで隙間なくぎっちりと文字が埋まっている。つまり、会話で改行が入る普通の文庫本と比べて、約3倍の文字量。さらにホビットの歴史がどーのこーのだとか、人物や風景の描写が長々と続くとか、ディスクリプティブなスタイルで、はっきし言って結構ツライ。映画を見ていなければ、絶対に途中でギブアップしていただろう。それでもやっと7冊目に突入したが、この夏の目標「本を20冊読破」にはまだまだ遠い。何よりも、早く他の本が読みたくて仕方がない。「本屋立ち入り禁止」発令中。 (AS)
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私は5人兄弟の末っ子で、一番上に兄がいる (ほとんど音信不通で、母しか連絡先を知らない)。私の記憶によれば、この兄が大の本好きで、買った本は家に帰る前に読み終えてしまうほどである。確か政治、歴史、趣味のフォルクローレ、軍艦やアウトドアに関するものまでいろいろ読んでいたような…。そんな兄のホームページをつい最近見つけた。2年ほど前の正月に、実家で兄を見かけた時 (?)、自身のホームページを持っていることを口走っていたような気がしたので検索してみたのだ。すると、簡単に見つかり、2、3日前に更新したばかりであった。昔から小難しい奴だとは思っていたが、ダイアリーを読む限り、それは今も変わっていないようだ。読者のことを全く考えていないような、難しい言い回しとキュウキュウに詰まった活字。読みにくいったらありゃしない。でも、自己紹介の部分に 「好きな食べ物はカツ丼です」だって。好物が私と同じカツ丼だなんて…気は合わなくてもやっぱり兄なのね。 (SU)
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子供の頃から本が好きだった。小学校低学年の頃まで毎晩寝る前に数冊選んで母に読んでもらっていた。学校でお気に入りの場所は図書室だった。休み時間や放課後、図書室で好きな本を読むのが楽しみだった。通学通勤の“お供”は軽くて薄い文庫本だった。しかし、ここ最近は「本が好き」と公言している割にはまともに本を読んでいない。買うのも読むのも娘の絵本が中心! それにしても『しろくまちゃんのほっとけーき』『おおきなかぶ』『しょうぼうじどうしゃじぷた』など、私が子供時代に大好きだった絵本を、娘が同じように楽しそうに読んでもらうのを眺めるのは何とも面白い感覚だ。毎日同じものを何度も読むので、そらで読める絵本が何冊もできた。このように毎日が絵本三昧だが、この間里帰りした際、父がなかなか面白かったと言って1冊の本を貸してくれた。谷川俊太郎・徳永進著 『詩と死をむすぶもの』。ホスピス医療に携わる医師と詩人の2年にわたる往復書簡をまとめたもの。久しぶりにいろんなことを考えさせてくれる本だった。やっぱり本は大好きだ。 (RN) |
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ほんまに! 本命・本家本元・本格的・根本・本場の味・本場所 (お相撲)・本州・本店・本番・本陣・本音・本心・本堂・本体・本妻 (なんで本夫という単語はないの?)・本部・ニンジン1本・本木雅弘・・・あ~~っ、だめ! もうこの脳ミソではこれを以ってボキャブラリーの限界じゃ!・・・まだ何かあったらお勉強のために教えてーっ。本当は「本」のお題を見て、「あ! “本”の意味について書きましょう!」と本能の赴くまま本文をしたため提出したらー、むなしく却下〜ッ! (理由: Bookについて一切触れていなかった) なのでー、本腰を入れ直して書くぞーぉおお!と思ったら、このありさま。さてさて本題に入りますと・・・1歳半の彩雲が「本よんで~」と近寄ってくるようになった (私にでなくてお母さんの姉に)。しかも、何回もきゃっきゃっと騒ぎながら 「もう1回よんでー」と5ページくらいの絵本を持ってきては、お姉ちゃんが何回もおーんなじ文章をおーんなじように赤ちゃん言葉で「ゾウしゃんがきましたよ~。あれぇ~、おかしいじょぉ~」などとくりかえーし読んであげているのを見て、「ゲ。こりゃたまらん」と思った私。そろそろ本気で子作りに励まねば! (満星と那月と彩雲のおば) |
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アマゾンのキンドルや iPad など、電子書籍向けの携帯端末が広まっている。私は新書にしろ、古本にしろ、紙の匂いを嗅ぎ、手で感触を味わいながら、ページをめくりたいと思うが、世の人はそうでもないらしい。持ち運びにも便利だし、欲しい本をすぐにネットでダウンロードできる。やはりメリットは多いのだ。今年7月に村上龍氏が電子書籍 『歌うクジラ』を iPad 向けに発表した。坂本龍一氏が作曲したBGMが要所要所で流れ、CGアニメも豊富に盛り込んであるという。構成、デザイン、制作まで深く携わった村上氏は、音楽が流れるタイミングと文章の組み合わせを特に重視したという。まさに、これは進化した絵本ではないか。これならば私も読んでみたいと思う。「読む」というよりも、体感するという感覚なのだろうか。書籍というよりも、これは新たな別の表現媒体であろう。村上氏は電子書籍が出回っても、紙書籍はなくならないと思う、と語っていた。私も是非そうであってほしいと願う。 (林潤子) |
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| (2010年8月16日号に掲載) |
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子供時代の強烈すぎる「海体験」が尾を引いている。▽6歳の夏。茨城県の漁村に1週間ほど家族と逗留していた私は、初めて味わう海水浴の楽しさと、慈愛のような浜辺の優しさを身一杯に感じていた。その翌日、喫茶店で母とかき氷を食べていると、村全体が騒然とした空気に包まれた。男の子が溺れて行方不明だという。警察と地元民総出の捜索は夜まで続いたが、その少年は見つからなかった。薄暮に霞む無表情な港の海は私の幸福感を一掃した。蜩 (ひぐらし) の合唱が少年を供養する読経に思えた。私は無機的に旋回する灯台の光にも怯えて一晩中泣いていた。▽11歳の春。1968年5月16日。修学旅行で宮城県松島湾の遊覧船上にいた。すると突然、海面がタテに揺れる不気味な動きを見せ始めた。「1968年十勝沖地震」 (M 7.9 /死者49人) が発生した直後のこと。まさに地震による海面変動を目撃した瞬間! 震度が強ければ転覆という惨事に見舞われていた。海上保安庁の巡視船に誘導されて陸に戻り、修学旅行は中止。無事帰還した私たちをテレビ局が待ち構えていた。年齢を重ねても海には畏怖の念が付きまとう。 (SS)
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▽中学生の夏の初め、生徒全員で毎年、千葉県船橋市の海に潮干狩りに行った。生徒がぞろぞろと歩く海への道は、まるで砂糖の山へ続くアリの行列のようだった。潮が引いた浜辺でクマデを使ってアサリやハマグリを掘り出す。家の夕飯には、あさりご飯、あさり汁、あさり酒蒸しが並んだ。▽潮干狩りを楽しんだ船橋の海岸には当時、国内最大のレジャーランド「船橋ヘルスセンター」があった。遊園地、プール、ボーリング場、観覧車、ホテル、大ローマ風呂、宴会場などがあり、無節操なパワーが炸裂していた。田舎から出てきた親戚と一緒に風呂に入って、飲んで、食べて、歌って「8時だョ!全員集合』の公開放送を見て、ゲームをに興じて、500円もあれは1日中遊ぶことができた。▽海浜埋め立て地から湧き出た温泉と天然ガスを利用した「船橋ヘルスセンター」は1977年に閉園。1983年、すぐ近くに「東京ディズニーランド」がオープンした。その昔、小さな漁村にすぎなかった船橋や浦安の海は、時空を超えて人々に夢とファンタジーを贈り続けているような気がする。 (NS)
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海の謎。① 私が生まれた台湾は非常に保守的な国 (昔の話だけど…)。小さかった頃、いつも家族でテレビのドラマを観ていた。ラブシーン (キスもしていないハグのシーンだけどね) が出てくると、私たちはバツが悪くなり、「ちょっとトイレ」と言い、テレビから1分くらい離れて行くのが “常識”。どんなドラマを観ていても、恋人同士は仲よくなるとなぜか海辺へ散歩 (??)。海にはロマンチックな力があるからかなぁーと思い、テレビを観ていた。でも、不思議なことにどんなドラマを観ても、海辺のシーンの後は、必ず女性のほうから彼氏に「妊娠したの!」との告白。だから、“男の人とは海へ行っちゃいけない! 子供ができるから” と私は信じていた (単純だったのか、おバカさんだったのか??)。② 友人のケンちゃんはまったく泳げないのに、自分が「海男」と宣言しているのは何故なのか?・・・これも謎。 (S.C.C.N.)
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そんなに海から離れてはいなかったのに、日本に住んでいた時はあまり「海に遊びに行った」という記憶がない。子供だけで行けるほど近くはなかったけど、母は日焼けするのが嫌だから海には行かない主義だったし、父は家族と一緒に行動をしない人だったので仕方がない。海遊びとは縁の薄かった家族だったけど、「海に行く」=「泳いだり、ビーチボールをしたり、砂を掘ったりして、海で遊ぶ」というイメージだった。だが、サンディエゴでそのイメージが変わった。来たばかりの頃はいつもハウスメートの子たちと遊んでいた。イタリアやスイス出身の彼女たちは皆ビーチに行くのが好きみたいで、日の長い夏は学校の後もビーチへ。ビーチタオルを抱えてバスに乗り、海に到着すると砂浜にビーチタオルを敷いて寝転がる。初めはせっかく『海』に来たのに、どうしてじっとしてるだけなのかとても不思議だった。そのうち、そういう楽しみ方もあることを覚えた私。今ではビーチでのんびりするのがとても好きです。 (YA)
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ダイビング特集 (ゆうゆう2010年8月1日号p17) の続き。7/17 (土) La Jolla Cove /透明度 5-10 ft. 渡米してからというもの、すっかりご無沙汰のダイビング。ブランク5年+極度の怖がり屋の私。果たして人魚に戻れるのか、はたまた陸の上から海を眺めるだけで終るのか……かなり心配。潜水ポイントまでの海面移動では、私はただ浮かんでいるだけ。友人が私を引っ張ってくれるという豪華サービス付きだったが……なんてこった。波に酔ってしまった! で、一度ビーチへ戻ることになった。トホホ。情けない。休憩後、今度は自力で泳ぐことに。やっとこ潜水ポイントに到着。いざ潜行開始。ふぅーふぅー。吐いても吐いても沈んでいかない。あぁ情けなや~スキル不足。やっとこ潜ると、おぉージャイアントケルプ! もっさりもっさり、うねりに漂っている。下層を鮮やかなオレンジ色の魚が泳いでいる。ガルバルディだ! おや、1匹こっちに向かってくるぞ。こいつ結構怖い顔をしているな〜。日本も良かったけど、SDの海もいいな。次はどこで海中散策? まだまだ夏は続くぞ。 (AS)
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「私の実家の目の前は海です」と言うと、「わぉ~オーシャンビュー!」 と驚かれる。ただ単に、田舎育ちってだけなんだけど…。 (因みに後ろは山だし…) 中学生の頃の夏休みには、タオル片手にスクール水着のまま家から飛び出し、ジャンプイン! 毎日泳いでいた。思いっきり潜っても足が着かないような、遥か沖の方まで親友と一緒に泳いでいき、立ち泳ぎのまま何十分も喋っていた。(今考えるとちょっと怖い) 生活の中で、常に波の音が聞こえてくるのは当たり前のことだと思っていた。ところが、アメリカに来て2年ぶりに日本へ帰った時のこと。とにかく波の音がうるさくて眠れなかった。「こんなにうるさかったっけ?」 時差ボケも手伝って、翌日は目が真っ赤だったのを覚えている。最初にサンディエゴで住んだ街はインペリアルビーチ。あ〜この先には日本があるんだと感傷に浸りながら、毎日ビーチを散歩していたのが今ではとってもなつかしい。いつかアメリカでも海の目の前に住みたい … なんて夢のまた夢。 (SSo)
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私は、道を挟んでの瀬戸内海が目の前の家で産まれた。そのせいかどうか、徹底的な海人間だ。中・高・大学と水泳部に所属。泳ぎもそれなりにできる。長年勤めていた出版社を辞めて一番先にしたことは、大学の頃から憧れていたダイビングの免許を取得したこと。以来、日本の海を始め、世界の海も各所潜ってきた。まだまだ初心者の頃、バルブを十分に開かず潜って大変な目にあったり、海底の潮の余りの速さに流されて、水深が突然深くなる場所で、仲間を見失ってパニック状態になりかけたり…と、今から思えば、ダイビングにまつわる失敗談も山ほどある。しかし、それでもカラフルな海の底にいる時間は極上だ。そんな中での一番の経験は、何と言ってもタヒチのボラボでシャークダイビングに挑戦した時。人食い鮫でないということが分かっていても、やっぱり怖い。恐怖心と戦いながらの美しい海底で眺めるピースフルな光景は、記憶に残るには鮮明すぎるほどだった。 (Belle)
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♪上野発の夜行ぉ列っぇ車降りたときからぁぁぁぁぁ~♪ ← お題の第一印象。。豆腐屋の不肖の子だった従姉妹は Working Holiday で豪州へ遊学中、サーファー・金髪・碧眼・長人 (背が高いの意) の豪人と出会い、1年後、名古屋にその男児をサーフボードと一緒に連れて帰ってきた。この男児、日本語はからっきしダメ。家に居候させてもらうんだから、親は働いてもらおうと思ったが、午前3時出勤は無理 (現金商売の世界なのに、客が籠にお金を入れてすぐ釣銭を出す業などてんでダメ)。もう使えない!とクソミソに言われていたけど、1年後には従姉妹ご懐妊~。男の子誕生〜。でー、その子の名前が海 (かい)。でー、トントン拍子に長女も誕生! でー、その子の名前はなぜかシェリー。豆腐屋の孫の名前にしてはハイカラ風。ブラット (従姉妹の旦那) → あだ名 “ブラッと買い物” は今では日本語がめちゃ上手になっていて、2人同時に呼ぶとき、かたや日本語で “かい君〜!”、で、もう1人は口の筋肉の動きを変えて英語的に “Sherry~!” となる。クソミソ言われたのは過去の お・は・な・し。今では英語のセンセイで家族きっての稼ぎ頭。豪州ゴールドコーストにも一軒家を持ち、従姉妹左ウチワだそうな。(私も左ウチワがいいーッ) (満星と那月と彩雲のおば)
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4月20日に勃発したBPによるメキシコ湾の原油流出は、現在7月22日の時点で暫定的に食い止められている。それまでは、ニュースは「Day 37」「Day 51」「Day 71」と日を数えながら、ぼこぼこと吹き出る深海の様子を伝え、私は深いため息をつきながらただ画面に見入るしかなかった。流出量は1日12万から 25万バレルと言われるが定かではなく、それ以上の可能性も高いという。が、1日25万バレルと言われても、どれくらいの量なのか想像するのも難しい。ただただ膨大な量という感じで、それを回収するだの、環境に与える影響だのと考えると、私の頭はもうついていけない。オイルまみれになっている動物たちの姿を見て、心を痛めるだけである。彼らの平和な生態系は破壊されてしまった。一方で、私はそのオイルの恩恵にあずかって、快適な暮らしを営んでいるのである。自己嫌悪と苛立ちと怒りが入り交じって、私の心は沈みっぱなし。 (林潤子) |
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| (2010年8月1日号に掲載) |
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忘れ得ぬ夏の1日がある。1969年7月21日。人類初の月面歩行をテレビで目撃したその日は、不思議な高揚感と虚脱感、そして日本特有の湿気に包まれた特異な猛暑日だった。あの1日が強烈な夏のイメージとして心から離れない。アポロ11号着陸船「イーグル」のコンピュータトラブルから月面離陸のライブ映像まで、一昼夜にわたる世紀のスペクタクルを固唾をのんで見守っていた。そんな歴史的瞬間をリアルタイムで目撃した衝撃を一身に受けながらも、12歳の私には幸福な体験とは言い難かった。天体望遠鏡で幻想空間を渡り歩き、眼前に浮かぶミステリーに酔いしれていた少年にとって、聖域に宇宙靴の足跡を残された打撃の大きさは言葉で言い表せなかった。アポロ11号にイノセンスを奪われた少年は月に望遠鏡を向けなくなった。“神秘” が “物質” に変わってしまったのだから…。『金色夜叉』の名ゼリフ「来年の今月今夜、僕の涙で必ず月を曇らせてみせる」も情感が湧かない。宇宙服でピョンピョン飛び回るオルドリン飛行士の姿が思い浮かんでしまう。私の夏はアポロの記憶とセットになって訪れる。(SS)
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▽故郷の福島県会津柳津では、お盆の時期になるとお墓一面にクルクルとかざぐるまが回る。ヒュ〜〜ドンドン、夜空には2,500発の大輪の花火が打ち上げられ、その音が山々に響きわたる。蝉の声、入道雲、ラジオ体操、蚊取り線香、祭り太鼓…。盆の終りには、只見川に灯籠を流して先祖の霊を送り出す。幻想的で風情満点の日本の夏が懐かしい。▽ただ、あの蒸し暑い日本の夏は苦手だ。特に夏の満員電車は地獄。走って駆け込み乗車なんてしてしまうと、もうタイヘン。電車に乗ったとたん、滝の様に汗が吹き出る。ギュウギュウ詰めの電車に揺られて会社へ着く頃には化粧も髪もデロデロになった。▽メモリアルデー (5月第4月曜) から始まりレイバーデイ (9月第1月曜) で終わるアメリカの夏休みは長〜い。そのド真ん中にあるのが「独立記念日」と 「オールスターゲーム」。10年連続出場を決めたイチロー、パドレスのゴンザレスとベルに注目して、今年もホットな「真夏の祭典」を楽しむぞ。 (NS)
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暑くてもサンディエゴの夏は、母国の台湾と第二のふるさとの日本と比べると湿気が少なく、からっとしている (気持ちがいい)。でも、どこの夏でも、1年のうちで最も暑い季節である (あまり好きじゃない)。最も昼が長い季節である (結構好き)。電気代が急に上がる季節である (節約!節約!)。ビーチが人だらけになる季節 (汚くしないでよ〜)。花火の季節である (面倒だからテレビで観ている)。家族、友達などのグループとBBQをする季節である (^.^)。強い日差しのため、肌が黒くなる季節である (フィリピン人?…とよく言われる)。もちろん、しわ、シミができやすい季節である (もう、いや〜)。あまり水をやらない私だから、我が家の庭のプランツが枯れる季節である (ごめんなさい、プランツたち)。そして、この私は長女としてウン十年前の夏に、この世に生まれてきた。 (S.C.C.N.)
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「夏」というと母の生まれ故郷が思い浮かぶ。夏休みはいつも数週間を母の実家で過ごしていた。兵庫県の小さな町にある祖父母の家は畑と田んぼに囲まれていて、自然がいっぱいで、まさに “田舎で過ごす夏休み” だった。聞きなれないイントネーションの兵庫弁 (?)、虫取りをする従兄弟たち、たらいに張った水で冷やしたスイカ、蚊帳を張ってみんなで川の字になって寝る部屋・・・自分の普段の暮らしとは全然違っていて新鮮だった。農業を営んでいた祖父母は毎朝早くから働き、私たちが起き出す頃には、もぎたてのキュウリやナス、トマト、スイカを持って帰ってきていた。大人しい子供だった私は、忙しい祖父母とそんなに話をした憶えもないが、可愛がってくれたと思う。優しいおじいちゃんとおばあちゃんだった。祖父は亡くなり、祖母はもう90歳になる。今年久しぶりに会った祖母は足が弱くなり、耳も遠くなり、人との会話が難しくなってしまっていた。6年前はあんなに元気だったのに…と哀しく思った。 (YA)
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夏、特に 4th of July の夜空を見上げて思うのは、世界一の美しさを誇る日本の花火。隅田川の花火大会、神宮球場の花火大会、多摩川の花火大会と光の芸術を毎年楽しんできた。それから近所の駄菓子屋で、バラ売りの花火を1本ずつカゴいっぱいに選んで、公園にバケツ持って行ったっけ。シューシューと吹きだす花火を手に持って踊ったり (バレリーナか魔法使いのつもりの本人)、ねずみ花火に逃げ回ったり (それでコケた)。ヘビ玉がモクモク煙を吹いて、出来上がりのサクサクウンコを踏んづけて笑ったり、吊り下げ花火がグルグルと回って、最後にホワーと開いた提灯おばけを夏が終わるまで飾っていたりしたなぁ。そんな夏の風物詩がアメリカでは体験できないとは。オーマイ、ナンテコッタ!! たしかに、アメリカの音楽と一体化した花火もキレイですよ。でも花火はやっぱり、ヒュ〜〜ン、バンバーン、シュル〜〜ン、バンバン、バラバラ、パラパラ、シーンって音の方が風流でいいなぁ。 (AS)
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夏は私の好きな季節のひとつです。花火大会…海…かき氷…蚊取り線香…蝉の鳴き声など、いろいろと思い出します。でも、全部日本に居た頃のことですし、満喫はしていなかったかも…。というのも、花火大会は大好きでも、人ごみが苦手な私は会場に近づくのを避け、遠くから花火を見るため、体にドーンと響くあの花火の音ではなく、「プッ…トーン…パラパラ…」と聞こえるくらいの距離から花火を見ていました。海は、海水浴場が実家のすぐ近くにありますが、泳げないので、小学生のころの学校行事で強制的に海に入れられて以来近寄っていません。あっ、蝉は十分すぎるほど味わったなぁ。
毎朝、家の前の公園でミンミン鳴いてたし、ある朝、あまりのうるささに目が覚めたら、部屋の中でふ化した蝉が鳴いていました。あれ? 考えてみれば、そんなに夏を楽しんでいる記憶もないのに、なんで夏が好きなんだろう?? 気のせいか? (SU)
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子供の頃の夏の思い出といえば、蝉の鳴声、入道雲、かき氷、夏祭り、旅行、 プールにキャンプ。夏休みは毎日楽しいことばかりだったような気がする。でも、年齢を重ねるにつれて、夏は受験勉強やら何やら、楽しくないことの方が多くなっていった。さらに、会社勤めをするようになってからは、蒸し暑い夏の日の出勤は疲労困ぱいだった。しかし、サンディエゴに住むようになってからの夏は、また楽しいことの方が多くなった。まず、サマータイムで時計の針を1時間ずらすのがとても新鮮だった。これから夏がやって来るんだとワクワクした気持ちになるのが不思議。観光地という土地柄か、夏になるとバケーションを楽しむ雰囲気が街の至る所で感じられるのも嬉しい。毎日カラカラの快晴というサンディエゴの夏は、私の髪をバサバサに乾燥させてしまうけれど、それでも大好き。そして、2年前の夏に娘が誕生。去年の独立記念日に歩き始め、今年のその日にはふざけて牛乳寒天を器から直接食べていた。娘の登場は、これからの夏の思い出をさらに面白いものにしてくれそうだ。 (RN)
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来ましたよ! フェスティバル、納涼祭り、催し物=大道芸人!! (?)。相思相愛 (と思われる) 人物が実は隠れ手品師を目指していたらしく、最近マジックショーに同伴する機会ができちゃった。ハリウッドのマジック・キャッスル (メンバー制、スーツ・ドレス系、招待客しか入れない) という手品の金閣寺?アステカのピラミッド?みたいなところとか、最近ではマジック・インターナショナル・コンベンションというのがSDで開催されて、世界中のマジシャン&おたくさん達の大集会に参加。(周囲はぜ〜んいん手品師・・・胸ポケットにトランプを入れているからすぐ取り出せるよぉ~みたいな・・・) という不気味な光景・・) そこで知り合ったのが世界の峯村健二! 日本では知られてない、ヒロミ・ゴー風の出で立ちの彼、世界では超スーパースターマジシャンなのだー! ステージの後、その辺でサラっとコインが手の中で消えたり出てきたりっていうのを見せてくれた。ビックリ。こりゃスゴイわ。でも一番ビックりしたのは・・彼が愛知県春日井市 (私の実家) に住んでいること! 実家から自転車で10分、義理のお父さん、娘、その娘は私と中学が一緒だったのだ~ッ! ひぇ~! (満星と那月と彩雲のおば)
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夏ヘ向けてダイエットを始めた。最近とみにお腹が出てきたのと、ジーンズがきつくなったのである。体重計に乗ってみると、案の定、3パウンドくらい太っていた。私は小柄なため、3パウンドでも体型が変わる。新しく調達したビキニを着るためには、もう少し痩せたい。これまではジムやヨガやバレエなどに励んできたが、最近はあれこれとバタバタして時間がない。ということは、食事制限でもするしかない。日本では、ダイエットといえば1日3食バランスよく食べることが大切とされていた (今でもそうなのかな)。が、アメリカに来てよく耳にするのは、重要なのは空腹の状態にしないということ。少量を1日に何度も食べるという方法である。いつでも食べていいというのは、大変魅力的である。もちろんカロリーの低い、身体に良い食べ物を口にしなければならないが、なんとなく、これなら楽そうではないか。果たして、成功するだろうか。 (林潤子) |
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| (2010年7月16日号に掲載) |
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旅に出る前は異常なほど綿密なプランを立てる。全体ルート / 航空機の乗り継ぎ / 電車の乗り換え / 観光名所 / 宿泊施設 / 食事場所 / 名産・名物 / 周辺店舗に至るまで、旅程と目的地の事前情報を最大限に入手する。Google Map、YouTube、Mapion、MapFan Web を駆使すれば、現地情報が頭の中に溢れるほど詰め込まれてバーチャル旅行も味わえる。私にとって出発前の 「完全行動予定表」作成は旅の醍醐味の85%を占める。本音を言うなら、用意周到な旅行計画が頓挫する時、旅の興奮度は最高潮に達する。数年前、新幹線の運行障害で横浜バスツアーに間に合わず、目的地を伊豆に変えた。鰯 (いわし) 雲がたなびく、初秋の陽光を浴びた富士山の雄姿を車窓から眺めた時、至福の境地に浸った。インターネットで検索しなかったパノラマだった。慧端 (えたん) 禅師の言葉に「一大事と申すは今日、唯今の心なり」(人生で最も重要なのは今この瞬間) がある。これぞエピキュリアンの心意気、楽しむ術の極意のような気がする。情報過多は未来に捕われている証拠だろう。旅の本質は無計画性にあり。 (SS)
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▽10年ほど前、親と姪を連れて「アメリカ西部国立公園ツアー」に参加した。ラスベガスから大型観光バスに乗車。ザイオン、ブライスキャニオン、モニュメントバレー、グランドキャニオンの大自然を日本語ガイド付きで満喫した。▽その旅はハプニングの連続だった。ボディチェックの時に父がカメラを置き忘れたり、母の足の裏に魚の目ができたり、姪が着替えの下着を忘れてしまったり、1人で参加した男性がグランドキャニオンで行方不明になってしまったり…。私といえば、「最後部のトイレは緊急時のみお使いください」とガイドさんに言われたにもかかわらず、お腹の調子がおかしくなり、最前席とトイレを何回も往復した。雄大な渓谷よりも、その時のドタバタ劇が旅の良い思い出となっている。▽その旅は特別なものだった。なぜなら、生まれてこの方 「家族旅行」という記憶がないのだ。家業で皆が忙しかったし、そんな贅沢はできなかったのだと思う。『親孝行したいときに親はなし』とはよく言ったもので、80歳を超えた両親に会うために日本へ里帰りすることが、当分の間、私の旅のルーティーンになるような気がする。 (NS)
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東京に住んでいた時、勤めていた会社の女性の先輩が毎年1人旅でバリ島へ行っていた。その先輩と一緒に初めてバリ島へ行った (今から約18年前?)。親切な人々、美しい海辺 (泳げなかったが…)、美味しい食べ物。彼女と一緒に行動する時間もあったけど、1人でのんびり過ごした時間が多かった。10日間の旅だったが本当に楽しかった。毎朝ジュース屋さんへ行き、スイカジュースを飲み、知らない地元の若い人たちとビリヤードをしていた。昼間はビーチでのんびり日光浴をしてから、小物のお店めぐり。ビーチで観光客にネイルサービスや髪の毛を編む商売をしていた子供たちと仲良くなった (言葉は通じなかったが…)。彼らは日本製品が大好きなので、お別れの時 (寂しかった…)、日本から持って来ていたサンダル、タオルなどをあげた。あの子たちはもう今立派な大人になっているでしょうね。 (S.C.C.N.)
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旅行といえば、修学旅行、卒業旅行、研修旅行、社員旅行、新婚旅行、家族旅行などいろいろ。・・・ そういえば家族4人 (父、母、私、妹) で旅行したのは4回だけだ。ひとつはドライブがてら行った山口県の萩と秋吉台。たぶん、とてもキレイだったんだろうけど、当時は余り興味がなかったので行ったことくらいしか憶えてない。それから四国の高知県。これも車で行った。街路樹が南国っぽいなと思ったのと桂浜を歩いたのを憶えている。そして13歳の時に家族で行ったハワイ。飛行機に乗るのも外国に行くのも初めてだったので、強く印象に残っている。4回目の旅行は、私が留学でサンディエゴに行くことが決まってから。「しばらくはみんなで旅行はできないね」と、父が購入したばかりのRVで岡山県北部の蒜山 (ひるぜん) 高原にキャンプに行った。みんなで車の中で一夜を過ごした。あれから15 年が経った。私が里帰りした際、4人で食事に行くことはできるけど、家族4人での旅行はもうできない。あれが最後だったのかと思うと、少し淋しい。 (YA)
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1泊2日でベトナムへ。と言っても、 Westminister だけど。ちなみに、いつも近辺をウロウロしているけど。今回はいろいろな発見があったので、まさに旅行気分を味わったというワケ。まずは、ベトナミーズ通の友人が薦めるエッグヌードルの店へゴー! あぁクリアーなゴールデンスープが激ウマ。次は不思議な24時間営業のフルーツショップへ。おぉ、まさしく南国フルーツの楽園! ジャックフルーツを試食。パインとピーチとバナナが、次々にお口に放りこまれたような味の連続。そして3年前から探し求めていた「チェリモヤ」を購入。翌日、かの友人の「Pho ならここもグッド」の店へ。実はここは来たことがある。だから昨日の店との味比べと称して、まったく同じエッグヌードルにトライ。でも、やっぱり Pho にしておけば良かった …… そんな、まあまあな味。10年連続ザガットレーティングの店なので、Phoは美味しいのにさ。さて、お次のベトナム旅行は? 自称 Pho 博士の私としては、ウマイ店の情報があれば試さない訳にはいかないのだ! (AS)
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私にとっての旅は、宿や乗り物など細かな計画を立てず、時間を気にすることもなく、行きたい場所に気の向くままに出掛けること。旅行には色々と出掛けたが、今のところ私の人生で「旅」と呼べるのはただ一度、ヨーロッパ放浪の体験。あの頃は今よりももっと英語ができない上に、ヨーロッパ各地の言葉なんてさっぱり。ヒースロー空港に着き、その後ドーバー海峡を渡り、ベルギーのアントワープへ。そして、憧れのイタリアのフィレンツェ、ローマ。オーストリア、ドイツ、スイス、フランスと周り、最後にまたロンドンに戻った。6か国語辞典とアルクのヨーロッパ編も詰め込んだバックパックを背負って、毎日10時間くらい歩いたように思う。1日いくらまでしか使わないと心に決めていたし、使う必要もなかった。とにかく楽しかった。もう一度絶対に行きたいのは歩いて渡ったリヒテンシュタイン。リタイアしたらまた旅に出たい。その日までこつこつお金を貯めて、身体を鍛えておこうっと。 (SSo)
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私がこれまでに訪ねた国は35を超える。インドに料理を習いに行ったり、何故か!シンガポールに英語の勉強に行ったり・・・好きな国だと、例えばタイのように10数回も足を運んだりもする。これだけ旅をすると、旅先での盗難を含めた失敗談は山ほど。時には己の無知からの軽はずみな行動から、よくぞ無事だったな、ということも。こんなことも踏まえながら、いつかの旅先で自分に問うた。私は何故にそれほど旅に惹かれているんだろう?と。そして、その答えを見つけた。うんと年を取って、体の自由もそうそう無くなった時、ロッキングチェアにでも座って、自分の過去を静かに振り返る・・・「ああ、イタリアでハンサム男に優しくされたな」とか「タイの麺がやたら美味しくて、わざわざ寄り道をして食べに行ったな」とか、旅での豊富な出来事を思い出しながら、心豊かに人生を締めくくることができるのではないか、と。さあ、そう結論付けたなら、次はどこへ思い出作りに行こうか? (Belle)
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前号の続き・・・バカな・バナナ・オバマ・バハマ〜。そうです (何が?) クルーズにも色々ございますが (トム・セリア・ペネロテ)、私はお船で行ったのよーんっ! マイアミ経由・バハマァ-あ・ぁ・あ・ぁ・あ・アアアア嗚呼――ッッ!!(興奮が収まらない) まだ経験のないあなたにクルーズの美の秘密を伝授!! クルーズの何が魅力かというとね・・・運転しなくていい・・フフ → どんなに酔っ払っても、どんなに方向音痴でも、迷子になる面積が限られている! 私も行きたい!とムズムズしてきたあなたへアドバイスよ。船の上で各種ツアーを高額で売っているけど、それは無視!! 私たちは島に到着して原チャリをレント。浜辺をハシゴして最後に現地の子供たちがジャンプしている小さな入り江のスポットを発見。子供たちに海に飛び込め!と言われて、えーー怖い~と一応かわいこぶってからザッボーンッ。勢いでパンツが脱げそうになるが、誰も気にしてない模様。帰りにスーパーに寄ってバハマ産ビール購入。お船にこっそり持ち込む。(お船のお酒は高いからねぇ~) 教訓:島に入れば島に従え (何となく言いたいこと分かってくれる?)。
(満星と那月と彩雲のおば)
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日本にいた頃は居ても立ってもいられず、年に一度くらいはせき立てられるようにして旅行に出かけていたが、アメリカに来てから、それほどせっぱ詰まった感じはなくなった。もしかして、今の生活でけっこう満足してるのかな、と思うこの頃。もちろん、行きたいと思う旅行先はいろいろあるが…。昔、移住前にニューヨークを何度か訪れたことを除いては、私はアメリカに来てからカリフォルニア州を出たことがなく、ラスベガスも行ったことがない。多くの人が「え!ベガス行ったことないの?!」と驚くところをみると、やはりこの辺ではポピュラーな旅行先なのだろうか。私としては砂漠のど真ん中にある人工の街という感じで、アメリカチックではあるがそれほど食指が動かない。でも、近郊のグランドキャニオンには行ってもいいかなと思う。都会よりも自然を好むようになったというのは、歳を取った証拠なのだろうか。 (林潤子) |
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| (2010年7月1日号に掲載) |
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